あなたもわたしも

こんにちはこんばんは。

 

近藤です。

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BASEでの作品掲載がひとまず落ち着きました。9月の末に開設して、それからほぼ毎日追加し続けてきた。おかげさまで計358の絵が並ぶ場所になりました。

カテゴリー別にして見やすいようには都度手を加えてきたけど、それでもやっぱり次から次へ追加してきたので、掲載順で表示されるトップページは親切じゃないなと思い、あらためて整理しました。以前よりかは見やすくなったと思います。『近藤の作品買うWEB。』

 

深夜に、絵を描きながら目の前の窓越しに見る家々と遠くのビル。朝日が昇るにつれてその輪郭が浮かびあがって、その日によって違う色。レッドイエローだったり、ブルーオレンジだったり、グリーンパープルイエローピンクみたいだったりする。

グラデーションになった地平から、やがてまっすぐに伸びた光が部屋の中に射してきて眩しくなる。その何分かの間、雑然とした部屋の物が光り出す。いつもはただそこにあるだけの変わらない姿に極端な明暗が用意されるだけで、こんなにも変わる印象に思わず見惚れる。写真におさめる。

 

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何年も、何年も、付き添うことが大事で、その行為が自分自身を知るということに繋がっていくし、大切にするということに成っていく。だから、「うわーこれ好き。」の感覚が宿ったらそれを抱えて歩くこと。他の欲望にまみれて手を迂闊に放してしまわないこと。人に見せたくないときは秘密のポケットを必ず用意しておく。

たとえマッチングしたとしても、マッチングしないところはある。物事のいろいろが手軽になればなるほど身軽になるとは限らないし、だから選ぶことを意識したい。何度も。

 

ららら否定形からはじまる形もあるけど、そこに愛がないならやりなおし。

つよがりだけでやっていけるほど人生は短くないし、人生を短くしてしまうことはもったいない。全部、自分に言い聞かせてる。だから自分と似た性質の人にしか通じない言葉。だけどそれでいいし、そういう共感の範囲をジャンプせずに拡げていきたい。やがて結晶化した通過点が向こうからやってくる。スピってはいない。

 

( ’-‘ )

 

 

くるったような猫

植物のかなた

夢にしたかったな

あたたかいのにさむいのは当然で

山も風もあるのよ

歩きたくないけど

寝転びたいわけでもない

だからややこい

それはそうとして回転

笑っていたら死ぬ

あやしまれないように近づく

自分だけの写真

別と初と

もう話すこともない

人がいる

数多

人がいる

過剰に

すれ違う思い出に

花をくべたいのに

 

 

何かに似ている。

こんにちはこんばんは。

 

絵は順調に、生活はあいかわらず困窮に、暮らしています近藤です。

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今日、かつお菜のおひたし作ったのだけど、レシピ見ながらでも全然上手にできなかった。茹ですぎてべちょべちょになってしまって美味しくありませんでした。

料理と芸術は似てるってどこかで聞いたことあるけど、でも、あれ?

 

12月9日に発売されたSuiseiNoboAzuのアルバム『3020』が素晴らしくて、今年聴いた音楽作品の中で群を抜いて痺れた。2017年に発売した『liquid rainbow』から続いた物語が素晴らしい形で結実した、そんなような感覚を受けた。揺るぎなく、余計なことをやらずにただやり続けている。鋭く、浪漫に溢れていて、かといって感傷的にならずに前を見据えている。千年後〜それからまで、真っ向から鳴らしているシブいアルバム。

 

よく考える。想像力。でもしかし行動力に勝るものはないと、思う時もある。そこに至るまでの紆余曲折、は端折る。でも自分の中には確実にある、それは記憶の蓄積、そして何ものにも勝るエネルギー。日々是好日とはいかないまでも、あきらめたくない日進月歩。ださ笑

 

季節の頭だけは残したままで通り過ぎる人の会話だけを聴いてた。

すれ違う人の視線と交わるのが怖くて向こう側の歩道にいる人だけを見ていた。

 

去年オープンしたばかりの飲食店は歩道橋の近くにあって、よく階段の影になった場所で店員が呼び込みをしていた。いつの間にかタピオカを取り扱い始め、いつの間にか居酒屋になり、いつの間にかもぬけの殻になっていた。真昼間でも中は薄暗くて、営業していた頃の什器がポツンと置かれたままだった。 

駅前のTSUTAYAも閉店してしまった。特にそれでセールを行うということもなく、ただ、店の入り口に「長い間ご愛顧いただきありがとうございました!」と書かれた立て看板が置かれてあっただけで、あっけなく利用できなくなってしまった。駅前といえど雑居ビル二階の狭いフロアで、そこにDVDとCDと漫画が互いに邪魔しないように、けれど精一杯存在できるように工夫して置かれてあった。

 

以前書いた古本屋『象のあし』のこと。

ドローイングと象のあし

無くなっていくことに惹かれる。終わるものに興味がある。もしくは終わりそうなものの、その終わり際に美を感じる。でも寂しい気持ちもある。

自分にとっての面白が無くなっていく街にそもそも親しみはないけれど、それでも記憶はこの場所で積まれていって、この数年は確かにここで生きている。

どう愛せばいいのやら。その場所を、時間を、自分を ¥

 

ふと、思ったのだけど、両の手を合わせると絵が描けない。iPhoneを操作できない。目の前には縦になった黒い線、少し歪な線があって、それは祈りの形にもなるし、何かを讃えるときの動作にもつながる。「いただきます」と「ごめんなさい」はどこか似ているのかもしれない。催眠術者が「くっついたまま離れませんよ。」と言う時ほど疑わしいものはなくて、「合掌。」と言う時ほど信仰なものはない。はかない。

 

 

愛さずにはいられない

こんにちはこんばんは。

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12月になってしまいました。

もうすぐ2020の表記が終わってしまう。

この綺麗な数字の並びがあるうちに個展やりたいのだけど、もう残り一ヶ月。

野球で言うなら9回裏2OUTで逆転ホームラン打てるかどうかって感じか。

この自分をどこかに放り投げて、また違うどこかに着地させてくれる人がいないだろうか。他人様から必要とされないと動きようがないなとか考えていたら、そもそも自分が根本的に他人様を必要としていないんだってことに辿り着いてしまって慌てて進んできたマスを巻き戻ってみる。でも回想してみても、どの時点でも自分が他人様に興味を抱いたことなどなく、そもそもが薄っぺらい表面的なやりとりを認めてやり過ごしていた自分だけがいた。なんでだろう。中高と引きこもっていて人と接することが全くなかった期間が長かったからだろうか。なんでだろう。弟との不和によって起こった様々な精神のねじれが引き起こしたのかもしれない。一時、高校生の頃不登校だった時に通った病院で、よくある心理実験をやった記憶がある。それは、一片が50センチほどの正方形の中に砂がまかれてあって、そこに用意されたミニチュアの山や遊具や人などをジオラマのように配置するというものだった。その置き方、何を選択してどう物語を構築するのかによって、その人自身の内なる精神状態を読み取るというものだった。それが”箱庭療法”という名であることはずっと後に知ることになる。その結果がどんなのだったかはもう覚えていないけど、その経験から臨床心理学や社会心理学発達心理学等に興味をもちはじめる。いくつか本をよんだりもしたけど学術的なことは今だにさっぱりとんちんかんで身にはならず、でもユングフロイトとかの入門人の面白さに当時は夢中だったなあ。大学生の頃に企画したグループ展「無意識の行方」なんてまさに、心理学から影響されて付けたもの。卒展では顔のフロッタージュやったりもしたし、その興味の幅が増えてどんどん派生して、錯視効果やイリュージョンを取り入れたものも好きになった。でも自分で描くものは、そんな別角度から見ると違う絵に見えるとか、モチーフ一つ一つに諺がしかけられているとか技法的なことはやっていなくて、もっと単純。なんかでもトロンプルイユは気持ちの中で意識したりもする。面白い。高松次郎の影シリーズを初めて知った時は衝撃的だったな。タイガー立石もいけてるし、中村宏の絵画もめちゃかっこいい。静岡に住んでいて良かったことの一つに”幻触”っていう芸術集団の存在を知れたのは大きかったなあ。それに続いて石子順造も。いい。

と、だいたい文章にしても何でも行き先を決めずに出かけることが多い。なんとなくの勘で歩きながら行き先を決めていくけど、そこに至るまでがもたもたしてしまう。

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そういえば沖縄行ってきた。初飛行機。

高所恐怖症で、離陸どんなもんだろうと不安だったけど、いざ乗って動き出してしまえばなんのことはなく、みるみるうちに高度は上がって雲を超えて今までいた場所の地形が手に取るような大きさにまでなって、空と海の交わる地平線には真っ白い光が差し込んでいてしばらく見とれていた。大海原の上、風もなく静寂の海面を眺めているとまるで時間までが止まってしまって、この宙に浮かんでいる状態がなんとも不思議な感じに思えた。離陸時のあのアホみたいなスピード感、ただ速度を上げ続ければ空を飛べてしまうようにも感じるあの錯覚感は独特。ルートビアも独特味だった。国際通りはドンキみたいな色彩祭りでどこもかしこもシーサーがお出迎えしていた。紫の焼き芋が売り切れで食べられなかったのが心残り。近くにある第一牧志公設市場の方が好きだった。アーケードのある商店街から商店街へ、どこの道を抜けてもまた違う属性の商店街へと連なっていてまるで迷路、でもそれが楽しい。チェーン店の連なりと個人商店の連なりでは圧倒的なワクワクの差がある。そこを利用するしないに関わらず醸し出す匂いが違うから歩いてるだけで楽しい。猫が多い。猫が多い町は治安が良いってどこかのなにかで見た覚えがあって、なるほどなーと思いながら沖縄を過ごす。帰る。

文芸誌の「新潮」に連載している人で好きな人がいて、毎回その人の文章を読んでいると、こうして句読点でつらつら書いていてもいいんだという気持ちになる。読む人に分かりやすく伝わりやすくだけではなく、自分の言葉なのだから自分から出たままに書くのもまた、ある意味では伝わることも分かってもらうこともあるということ。自然に。

 

写真フォルダーを眺めているときの一種の安心感と一種の虚しさが同居する時間。印象的な写真と写真との間にある空白の期間。夜の暗がりでブルーライトに照らされながら死んだような魚の眼を機械的に動かす。

そして水を飲む。

寝る前には必ずコップ6分目くらいの水を一気に飲んでから布団に入る。それが健康にいいのかどうか、以前テレビでやっていたのを見たような、自分の中では験担ぎのようなもの。

そしてきっと、朝にも同じくらいの量の水を喉に流している。

 

 

二年目のブログ

こんにちはこんばんは近藤です。

 

このブログを始めてから一年が経ちました。

 

イエーイ!パチパチパチ!ヒューヒューっ。

 

ありがとうございます。

 

 

毎回、誰が読んでくれているのか分からないけれど、なんとなく風の知らせとか、SNS上で反応してくれたりして、何人か思い浮かぶ顔もあったりはします。多謝。

 

思い返せばスタートは2019年11月21日に書いたこの記事からで、 

・ブログを書く

 

やたら堅い文章だなと今読んでみても思う。 

 

 

 そんで時々こういう詩を書いたり、

・現代美術

・ぼくはことばをもっている

・クマの哲学

 

 

 時々いらん恋愛話思い出したり、、

・初めて付き合った人

・ぱーと2

・手紙

 

 

 

 友人のことを長々書いたりもして、

・「じじい」と呼ばれて。

・松田という友人

・オーロラになれなかった人のために

 

 

いまやっている作品のネット販売にも通じるこちらの文章や、

・フリマテン

・絵を売る

 

 

当然、作品や展覧会自体についても書いてきました。

・hollow me

・キッチューマウス

・明るい街

・Junkle

・絵画を解体する(練習)

・絵の中の展覧会。

 

 

 

長いね。

他にも雑多な事とか、自粛期間中は色々塞ぎ込んだりすることも普段以上に多くて、それが如実に出ていたりもするのだけど、そういう一つ一つが確かな記憶として実感をもってここに在ると思うと感慨深くもある。

 

あと調べてみたら、この一年での総アクセス数は4082で、記事の投稿数は92。

単純計算で一つの記事に対して、44の人が読んでくれていることになる。

 

ネタ記事でもないし、時事を扱うこともない、美術をやっている個人の極めて個人的な文章に二桁の数字が定着するなんて、やる当初は考えてもなかったな。

友達付き合いでポストした画像に一瞬共感することはあっても、わざわざ文章まで時間割くことなんてまずないからね、特に今の時代。いやーありがたい。

 

地道にでも続けてきてよかった。

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Don't you worryでもTRY‼︎

荻窪にあるコメダ珈琲にて。

普段平日に立ち寄って作業することはあっても、日曜に来ることはまずないから、こんなに混んでいるものかーと思いながら予約表に名前を記す。

 

どうも、近藤です。

 

ここ1週間は毎日のように嵐のYouTubeチャンネルにある「untitled」のライブ映像を流しながら、ZINEの制作や撮影した作品の編集作業などを行なっていました。

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んで、ライブ映像まったく飽きない。それどころか見る度に新しい発見があったりしてただただ楽しい。

例えばメンバーそれぞれのパフォーマンスから、自分なりに性格を考えてみたり、、

 

 

まず松潤はリーダーたる振る舞い。

リーダーではないけど、ライブの演出等をスタッフ達と一緒に作り上げる。実質、嵐のブレイン的な役割を担ってる。何か問題が生じた際に、真っ先に意見を発するのも松潤という印象が強い。(これはNetflixにある嵐のドキュメンタリー『Voyage』内でも顕著)

父親みたいな存在。

 

櫻井くんは結構ロマンチックで物語的な思考をする人なのかなと思った。

特にライブMCでのメンバーそれぞれの語り場面ではその傾向が強いように感じた。

ファンと嵐との関係にとって具体的な事柄や言葉を用いて語りかける、どこか俯瞰的で、でも情緒のある言葉を使っているから聞いていて自然に感情移入してしまう。

それは普段の仕事の賜物でもあるだろうし、生まれもっての気質も勿論あると思う。

そのくせ歌唱中の自分パート(通称サクラップ)では、やんちゃにファンを煽る。そのギャップがまた魅力なんだろなあ。

 

相葉くんは、熱い心と不器用な部分が両輪にある感じ。

それはカッコつけきれない照れ屋な部分とか、アイドルでいながらも等身大な雰囲気を待ち合わせる彼ならではの性格なのかなと思った。

仲良いことで嵐は知られてるけど、中でも特にフラットにメンバー間のコミュニケーションをとれるのが相葉くんな気がする。隠れバランサー。

 

リーダー。大野くんは最近見方が少し変わった。というのも前述したドキュメンタリー内で、個々にフォーカス当てた回があって、その大野くん回。

今年、六本木の森美術館で開催された個展に向けてアトリエで制作する姿をメインに構成されていた映像。その中で、ワインを何本か空にして顔を真っ赤にし、呂律も上手く回らないような状態で語った、「嵐の中で自分が"リーダー"という立場にいることの覚悟」みたいなシーン。

それまでは大野くんの印象って、歌唱力あってダンスもキレがあって振付もするし、絵を描いて釣りして、最近は芸人のヒロシさんの影響でキャンプの魅力にものめり込んで、へへへっておとぼけててメンバーからもイジられる存在。というものだった。

でも先のシーンでの表情、語る言葉等を見て聞いて感じて、この、なんていうかな、弱さって言うと誤解されるかもしれないけど、大野くんの"人間"を強く感じた。心っていうとセンチだし、この感じた様を言葉にするのは中々難しいのだけれど。

 

で、ニノ。

嵐の中で1番好きなのだけど、まあやはり上手というか、"ジャニーズの影のリーダー"なんてTOKIO国分太一くんから言われるだけある、というか。

ライブに限らず、その場その場での求められている自分像みたいなものに、それ以上をもって応えて見せるパフォーマンス力。すごい。

でも結構、引きの美学で動いている感じもあって、そこも好きだな。熱い言葉を胸に秘めながら周囲に誰よりも気を回している感じ。でも表面的にはのらりくらりとして、つかみどころのない存在を演出してる。

これは完全に根拠のない出鱈目なんだけど、隙あらばゲームしてる人って、ある意味常に思考していて戦闘態勢だと思う。見た目には遊びのようでも。でもそもそも遊びって思考しないと楽しくならないもんだし、、まあいいや長くなりそう。

 

SMAPが活動していた頃は、そこを入口にして、アイドルとは?ジャニーズとは?表現者ってなんだろう?みたいな事を考えたりもできた。

そういう面もエンタメとして昇華していた人たちの次が、自分にとっては嵐で。

 

体制も少しずつ変わり、今では他のジャニーズの裏側を映した番組も当然にあるし、肖像権のことやSNSやサブスク等ネットとの付き合い方みたいのも徐々に変わってきてる。

でもその先陣は嵐で、間口の拡張に一役も二役もかっていると思う。

 

 

 

 

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さて、冒頭書いたことに戻るけど、この"ただただ楽しい"という感覚が今の自分には絶対的に必要で、下向いてしょげないために映像からエネルギーをもらい続けていました。

 

行く末を真っ向から睨み続けていても疲れてしまうし、下手すると精神的にやられて出来ることも出来なくなってしまう。

それは散々今までの自分で実証済みだから、そうなる前に積極的回避をする。前向きなまま逃げる。ありがとう嵐。(同じくらい霜降り明星のラジオにも助けられたな。落語みたいに聴いた回を何度も流してる。。)

 

何より感謝しなくちゃならないのは、『近藤の作品買うWEB。』で作品を購入して下さった方々。

あらためて何度でも、ありがとうございます。

お金というよりは、そこに費やした人の時間を分けてもらっている感覚で、そのおかげで自分の生活と制作の継続ができています。

その期待や応援や、互いに表現者ならば戦友として、いつも感謝しています。ありがとう。

 

 

そして、もうすぐこのブログ始めて一周年になります。

いざ始めてみたら早いものですが、その間の紆余曲折を忘れずに二年目も続けていきます。

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(美術手帖の今月号特集「絵画の見かた」と次号の特集「ニューカマー紹介」についての愚痴をつらつらと下書きしていたのだけどやめました。それも嵐の"Don't You Get It"を聴いて回避できました。ありがとう嵐。)

 

 

世に万葉の花が咲くなり

どうもどうも近藤です。

 

意味もなく題はサザンオールスターズのアルバム名にしました。

 

でもこれから記す内容はただの愚痴なので、本来の題は「吐き捨て場」でした。

さて、

 

コンペに落ちた、コンペに落ちた。

何度味わってもこの感覚は慣れない。

審査員の顔が浮かぶ。「まじで見る目ないな!あいつが覚えていなくても俺は絶対名前忘れないからな。」と小さい自分を抱き、あやしながらも泣き叫んでいる。

くやしい、くやしい、、

結果が出なかったこともそうだけど、搬出するために審査会場まで足を運ばなきゃいけなくて、その時が一番惨めで悔しくなる。なんのために時間かけて電車賃払ってこの帰り道を歩かなきゃならんのだ、と。搬入の時には渾身の武器みたいに感じた作品も、帰り道には邪魔な荷物のように感じてしまうから不思議だし惨めだ。

”やった経験だけでも土産物”なんて思えない。結果を出した者だけが語れることがある。というか、名のある経歴がないと聞き入れてもらえない世界が確実にある。そこかしこに当たり前に。そこのレールを走ろうとしているからダメなのか、でも個人のままで勝負するためには必要な装備がある、どうしたらいいんだ

 

無視されるようになったら寂しい。

そういうファンを取り戻すのは難しい。

もう何年も自分の作品と付き添ってくれている人を、たまに振り返って確認する時があって。そういう時、感慨深くもなるし、この先後どれだけ側にくれているのだろうかと、不安に襲われることもある。

どう自分を見せればいいのか、どうやって何に向けて頑張ったらいいのか、実はもう手に持ってる旗はボロボロで後ろを振り返ったら誰もいなかったなんて妄想、尽きない。夜は蝕む。

 

すいませんねこんな気分で。

まあでもこんなことブログでしか書かんからいいでしょ。他の媒体では自分を律して余分なことを言わずに淡々と作品だけを上げたり、前進してる気分のことしか書かないようにしているのだから。

それにここまで読んでる人はこういう落ち込み様も承知で付き合ってくれているのだろうし。いつも読んでくれてる人ありがとう。

 

 

あ〜あ〜

会釈

こんにちはこんばんは。近藤です。

 

ここ最近思ったこと感じたこと考えたこと、をつらつらと書いていきます。

 

 

・メモには詩の断片がいくつもあって、それが喜びになってる。

写真フォルダには道端の花が時々映っていて、それを気にとめる心に安心する。

机の上にはいくつもの絵が散らかっている。手、よごれている。

 

・繰り返しの毎日のように思えて繰り返しじゃない、日々衰えと老いとナーバスな気分とにやられながら食って寝てる。不安な夜はいつもある、しかしなんの根拠もない高揚感も時々味わう。危ない気分になりそうな時はどうしようもない、ギターを弾いてもYouTube観ても絵を描いていてもままならない。なのに、どういうことか、近くのコンビニに行った帰り道、風が心地よく感じるただそれだけで軽くなる気分が不思議。

 

・横断歩道手前で赤信号に変わって立ち止まる時、近くに歩道橋があればそちらで向こう側に渡る。車が並んだ道路をざーっと眺めながら歩くと、なんとも言えない気持ちになる。高いところは苦手なのだけど、あのくらいの高さ、少し上から普段の場所を眺めるのは好きだ。でも渋谷とかのみんなが使う歩道橋はダメで、あまり使う人がいなそうな歩道橋じゃないと、なんていうか情緒を感じられない。わかるかな。

 

・これもまた道路話で、信号のない横断歩道を渡る時に、車の運転手と自分とで互いに軽く会釈して通り過ぎるあの動作、なんだかいいなと思う。自転車とか、歩行者同士でもそれはある。あの目が合うか合わないかの一瞬に、少しの動作で気持ちが温かくなる。それが日々の充実に知らずのうちに貢献していることを、時には意識したい。

 

・『紅蓮華』をカラオケで歌ってみる→楽しい!LiSAさんの他の曲も聴いてみよう→『炎』が解禁された鬼滅の刃の映画予告編を観る→うわーこれは最高のやつだ。。。→フル尺で配信され毎日鬼リピート→Netflixでアニメ版を見始める→「なんか全部が説明的で後付け的だなあ。エフェクト表現はかっこいいけど」→そんなケチをつけながらもなんだかんだで最終話→そのまま続く映画版を観たくなる→その前に漫画を読もうとTSUTAYAを巡るも、どこも巻数が欠けていてやきもきする。

 

・2年前に出会った人と、2年越しに絵の売買で再会する。

その人は都心から離れて今は慣れない土地で生活をスタートしてる。僕は東京。

いつの間にか変わっていて、いつの間にか知らなかったことが増えていく。

いつか忘れてしまう人や時間や場所を今も胸に秘めている。

芸術は時間を繋いでくれる。だからこそ続けることに最大の意味がある。

コンセプトもコンテクストも極論、続けることでしか説得力を持たない。

どこに向かっているのか分からない道中だけど、支えられてる感謝は忘れずに、

 

・正直、作品に値段をつけてネット上に掲載する作業は今でも疑いながらやっている。

どこかの団体や場所に属さず、個人でここまでハイペースにネット上に作品を掲載して販売する人を他に知らないからで、まだまだ一方通行感が否めない。というかどこまでいっても一方通行なんだろうけど。

まあ悩みながら考えながら、11月からは更に力を入れて面白い場所にしようと計画しています。

 

 

あと近いうちに発表があります。

といっても自分にとっての嬉しい出来事、それが他の人にも伝わっていけば嬉しい。

 

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