買ったもの、観たもの。

ここ一週間で観た映画、買った本。

 

f:id:Kond:20211007031555j:image

 

「フリー・ガイ」

面白い映画だった。すごく楽しい気分にさせてくれる。

そしてなんといっても、「トゥルーマン・ショー」に対するリスペクトをそこかしこで感じられて、そこが一番ぐっとくるポイントだった。

敬愛しているジム・キャリー、繰り返し観ている大好きな作品なので、いまあの作品を思い返す機会があったことが嬉しい。

最初から最後までノリが大アメリカ映画。

 

ダウンサイズ

マット・デイモン主演というだけでそそられる。

人類の未来のために、サイズを小さくしてしまえば資源や食料問題を解決できる、といったテーマもなんだか面白そう。予告を見ていた感じでは、社会的なテーマを扱いつつも、全体的な空気感はコメディ仕立てのようで、肩の力を抜いて鑑賞できそうだった。

だがしかし終盤の展開によって着地は少し重め。

 

「ガンズ・アキンボ」

ダニエル・ラドクリフ主演。突然両手が拳銃化してしまったオタクが殺し合いゲームに無理やり参加させられる、なんともB級絶好調な作品。

ハリーポッターと共に育ってきた世代としては、”ハリー”以降のラドクリフくんの作品は定期的にチェックしてきたわけで、手品を否定する悪の科学者を演じた「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」、摩訶不思議な死体の「スイス・アーミーマン」、脱獄する活動家「プリズン・エスケープ 脱出への10の鍵」、どれもこれも変わった役で記憶に残る作品だった。

でも、”ハリー”だった頃はそんなに惹かれる存在ではなく、むしろ隣にいた”ロン”役のルパート・グリントのほうが好きだった。それがいつしか、強烈に取り憑いたイメージを払拭するかのごとく、毎回変な役ばっかり演じている彼の活動を見ていて、いつしかファンになっていた。今回の作品も、ヒゲもじゃもじゃで、堕落した生活に汚い言葉、加えて情けない性格、どれもこれも面白要素で楽しませてくれる。

 

 

f:id:Kond:20211007031618j:image

「虚空へ」

今年で90歳になる谷川俊太郎さんの最新の詩集。

息子の賢作さんのYouTubeチャンネルに時々出演していて、いまだ元気な姿で話しているのを見るとなんだか安心する。でもいつか終わりを迎える時がくる。

文字数の少なさや、えらぶ言葉の性格に、タイトルにある「虚空へ」というのが染み入ってくる。

カバー裏の装幀がかわいい。

 

f:id:Kond:20211007031615j:image

 

「A HASTE OF TANIKAWA」

こちらも谷川さん関連。50年以上、ずっと谷川俊太郎の詩集を海外翻訳しているウィリアム・I・エリオットさんの著書。

今まで翻訳した詩の中から25編を選び、それぞれの詩についてユーモアを交えながら紹介をしている本。まだ未読。

 

 

 

以上。

 

休みの日

9日ぶりの更新。

 

こんな天気がずっと続いたらいいのにって、そんなのんきなことを思いながら窓際の机でこれを書いています。


作業する部屋から玄関へ、窓を開け放しておくと風が通りぬけて心地いい。

洗濯したタオルケットが風になびいて揺れる。目の前にある、三階建ての家の人との目隠しシェードにもなっていい感じ。

 

先日発売されたBank Band「沿志奏逢4」に収録されている「休みの日」という曲を聴きながら、青色のMONSTERを飲みつつ、机の上にあるペンやらマーカーやらをざーっと手で退けて書く場所を確保。やるくせをつけないとやらないままに日は過ぎて、そのうちサボった自分を責めて、その叱責がまた、やり始めるハードルを高くしてしまうから厄介なもんで。なのでその連鎖を断ち切ろうと自分の尻を叩いています。

 

 

昨日、それまで描いていた絵を一旦全部スキャンしてデータ化しました。

おおよそ2ヶ月の間、他にやることもなく描き続けていた絵は整理してちゃんと数えたら145枚ありました。なかなか描いた。自分でその積み重ねてた束を見て驚いた。

ただ、その量をデータ化しようとした時にスキャナーはおろか、自分のパソコンさえ持っていないので、セブンイレブンiPhoneと絵を持っていって2時間、印刷機の前でずっとスキャン作業をしていました。しかも近所のとこでやるのはなんかちょっと気が引けたので、わざわざ自転車で普段は通り過ぎもしないセブンイレブンまで行って。

 

スキャンしたデータを移行している間、iPhoneは読み込み画面になっているので他の操作ができない。なので、目の前に貼り出されてあるチケットぴあの情報を一文字ずつゆっくり読みながら時間を過ごしました。

 

あとはトリミングして、実物となるべく差のないように色調整をして、気分がのればタイトルも付けて。そうしておけばとりあえずあとは控えておくだけでいいから、その作業も尻叩いてやらねば。

f:id:Kond:20211003165528j:image

 

本に囲まれることは

また今日も本を買ってしまった。

 

何気なく寄り道のつもりが、ふらーっと棚を眺めているうちについつい手が伸びてしまい、ついにはそのままレジまで持っていってしまう。出掛けた時よりいくらか重くなったバッグを肩にかけて、楽しみ反面、またこれで棚に入りきれない本が積まれていくのかと、ほとほと断捨離とは縁がない性格だなと思ったりもする。

 

今回買ったのは谷川俊太郎「コカコーラ・レッスン」、杉村恒「明治を伝えた手」、「ザ・サイエンスヴィジュアルシリーズ 光」の三冊。

 

 

谷川さんの詩集は、以前この記事でも散々紹介したように地道に集めていて。

特にこの「コカコーラ・レッスン」は、出版されたのが1980年なのだけど、谷川さん作品の中でいうと中期辺りで、一番脂がのっているんじゃないかってくらい言葉の使い方が面白い。一読するだけでは意味わからん哲学や宇宙観、クラシックにも造詣が深いからそこらへんの用語も混ざってきて、現代詩的振る舞いも多分に見せてくる。それでいてわかりやすいユーモアや、日常のささいな描写が簡潔に描かれてもいて、その言葉同士の絶妙な距離感とか組み合わせが、読んでいて刺激にあふれている。

思潮社の本の装幀も毎度素晴らしいので、棚に入れて背を眺めているだけでも幸せを感じることができる。

f:id:Kond:20210924053536j:image

 

「明治を伝えた手」は、相撲字や木版彫師といった伝統芸の職人を紹介する本で、年々後継する人がいなくなり絶滅危惧になりつつあるモノやコト、その制作する現場の様子を写真付きで掲載している。

民芸や工芸への興味があるのと、そもそも母方の祖父母の家で暮らしていた頃は、よく祖父が離れで竹とんぼや凧などを作っているのを身近にしていたのもあると思う。

時々「お前も作ってみろ」なんて呼ばれて、言われるがままに竹を削ったり組み合わせたりしていたけど、正直あの頃はピンときていなかった。

そんなことが今更になり、ようやっとその魅力に気づき始めるなんて、なんて勝手なものだろうと思ったりする。直接伝えられる時に伝えておけばよかったことが、歳をとればとるほど増えていくってのはどうにも慣れない。まあ、そんなことも考えながら選んだ本。

f:id:Kond:20210924053551j:image

 

「ザ・サイエンスヴィジュアルシリーズ」は、電気、エネルギー、磁気、といったように毎回一つのテーマに絞り、それに対して多角的に画像を用いてわかりやすく解説してくれる図鑑的な本で。こういう化学や物理学系の本は条件反射的に手に取ってしまう。文章をちゃんと読まなくても、掲載している色んな図を見ているだけで楽しい気分になる。視覚トリックや心理学の本も同じ理由で好きだ。

反応と、その仕組みに興味があるのかも。

f:id:Kond:20210924053603j:image

 

 

本は、レコードやカセットみたいに、その魅力が度々見直され、ファッションアイテムのように取り扱われることはない。雑誌で定期的に特集は組まれるし、コロナ時代にあってその需要は高まっているらしい。けれど、物としての重さや、場所をとることから決してスマートではないし、電子書籍化が進むことで「いずれ無くなるメディア」といまだ言われ続けている。でもそんな存在ゆえに愛着が湧くし、こんなに情報と感情が一体化した物体、他にないぞ、とも思う。

 

新しく本を買って、家の棚に入れた瞬間に棚がそれまでと違う表情をみせる。本を入れ替えて整理すると部屋全体の雰囲気も変わるし、その時々の自分のテンションを反映する鏡にもなる。

バッグに入れて持ち歩けば、そのうちに角が潰れたり、表面に傷がついたりするのもいい。わざとそうする必要はないけれど、汚れれば汚れるだけ、本はその人にとっての本となって輝く。近年は転売も視野に入れて購入する人が増えたから、状態の良い本が多く、それはある意味では良いことなんだろうけど、でもそれ故に、誰のものでもないまま、市場を転々としていくだけの存在になってしまうつまらなさもあると思う。

 

 

こうして書いていると、また本が欲しくなってくる。

古本屋を覗けば店主のポリシーが感じられるし、思わぬ出会いが自分の好みを拡張してくれることだってある。新刊書店には時代が必要としている言葉や、書店員のしたたかな販売戦略が見え隠れしている。どちらも楽しい。

読まない本がまた積まれていく。

f:id:Kond:20210918224413j:image

(これは昔働いていた古本屋で撮った写真)

 

(なんだそれ)

たいして書くこともないまま、じーっと画面とにらめっこして一時間。

 

あの時のあの経験を文章にしてみようかしらと、パチパチ打ち始めてみても途中で「つまらんな〜」となってやめる。どんなに乱文だとしても、面白ポイントが一つでも作れていれば掲載することはある。でもそれさえもなく、ただダラダラと文字数稼いで文章組んだ気になっているだけだと失敗。とりあえずは下書き保存しておくのだけど、多分もう使うことはない。

気分が乗っていないと、そういう中途半端な記事だけが積まれていく。

 

ここ最近はほんと、絵描くことしかしていないから他人に語れるほどの出来事がなくて。そんな中でも唯一あるとしたら、先日、駅ビルの中に無印良品がリニューアルオープンして、早速行ってみたら想像よりめっちゃ広かったってくらいで。

 

家で、ロバート秋山がカリスマボイストレーナーとして出演したナイナイのラジオを繰り返し聴きながら、ずっとずっと机に突っ伏して絵を描いてる。

この一ヶ月でどんくらい描いたんだろうって、先月日付から数えてみたら113枚あった。

 

学生時代、地方に住んでいる身として都市部の美大・芸大生に絶対に負けるもんかと、とにかく描かなきゃ描かなきゃって半ば強迫観念のように自分に言い聞かせていた時期があったけど、その頃よりもしかしたら描いているかもしれない。しかも学生時代より絵の質は上がっているはずだから、そう考えると制作のテンションは今結構良い感じなのかもしれない。(なんだそれ)

 

RGじゃないけど、早く見せたい〜って気持ち。

作品としての質もちゃんとあって、かつ量もあるなんて俺すごいな!と、まだ誰にも公開していない絵を見つめながらほくそ笑んでる。(なんだそれ)

 

いい加減、近々の成功例に影響受けただけの焼き回しの絵にそれっぽい理由付けたり、評価付けたりする波終わってくれ。よくわからん。

f:id:Kond:20210918235958j:image

次回はもうちょっとマシな文章を目指して頑張ります。

 

おつかれさまは水餃子

おわったーおわったーおわったー。

つかれたーつかれたつかれたー。

f:id:Kond:20210914003446j:plain

展示最終日無事に迎えられてよかった。もう、とにかく、いろーんな関係各社の皆様、ありがとうございました。お疲れ様でした。出会えてよかった。

新宿丸井という大資本の下、スタバ帰りの人が通るフロアで、山下達郎を大音量で流しながら小躍りする店員を演じさせてもらえたのは、とてもとても貴重で贅沢な体験でした。

 

というのは冗談でもちろん、「いらっしゃいませー」「ありがとうございましたー」「どうぞご覧くださ⤴︎い」などの声がけも積極的に行い、商品が購入された際には丁寧にお包みし、最後までしっかり見送るという業務もちゃんとこなしていました。が、その合間合間でレジ台に篭って、ちまちまドローイングを描いたりもしていて。普通の店員だったらありえん業務態度だけど、そこはまあ合同展示作家としての立場に甘えさせてもらいました。すみません。ただ、久しぶりに人の眼に触れながら描いていたので、程よく緊張感のある絵になったのは収穫だったな、と。

 

あとは、立ち続けて仕事をしている接客業の人の大変さをあらためて実感したな。

普段から運動不足ってこともあるけれど、それにしたって毎回足が棒になって倒れこむようにベッドに横になっていたから、あの過酷さを笑顔で乗り越えながら、常に客の動向に気を配るなんていやはや尊敬。(よく服屋の接客うざいってあるあるとして語られるけど、それ込みでこちらも客を演じながら会話劇を楽しめたならいいのにとは思う。素で話す必要なんてないのだし)

 

 

キャンバスに描いた絵の展示は年一くらいのペースで行っていたけど、紙に描いた絵を大量に見せる展示は、2012年に開催した個展「絵の中の展覧会。」が最後だから、およそ10年ぶり。(数字で確認してみるとすごい経ってる)

f:id:Kond:20210914003543j:imagef:id:Kond:20210914003546j:image

その時のDM。印刷したものを一枚一枚家の形に切って色を塗って送ってた。

 

f:id:Kond:20210914003541j:image

会場の様子。大学二年生の頃に描いていたドローングを壁一面に貼っていた。

 

f:id:Kond:20210914005154j:image

展示会場の前、看板を持ちながら。

 

 

久しぶりすぎて感覚は薄れ、正直、搬入するまでは展示の強度としてどうなんだろう、という不安もあった。額装していないペラ紙の絵が大量に展示してあったところで、むしろお粗末さがより顕著になってしまうのではないかという不安。しかも今回は服の展示販売している空間内での展示なので、そことの親和性もやってみるまでは不安だった。(不安ばっかり)

だったけど、搬入し終える頃には、「なんとかこれだったら大丈夫そう」という状態にまで仕上げられたので一安心できた。

 

実際、会期中に絵を観に来てくれた人と話すと「こんなに大きなサイズだったんだ」とか、「今までずっとSNSの画像で見ていたけど、生で観ると全然違いますね!来てよかった〜」とかの言葉が出てきて、その反応が嬉しくもあるし、なんか新鮮でもあった。

キャンバスに描いた絵を展示している時とは若干違う反応。

常に自分の手元にあって、いつでも見ることができて、触れて当たり前だと思っていた絵は、それを実見するのが初めての人からすると、何もかもが驚きで、発見で、喜びになったりもするっていうのが、当たり前なんだけど当たり前じゃなかったなと。勉強。

 

今回48枚の絵を展示していたけど、それもほんの一部でしかなく、まだまだ紙に描いている絵は家の片隅に積み上げられていつかの出番を待っている状態。またそのうち、今度は違う選抜メンバーで展示を組めたらいいなと考えていたりします。

 

なんかよく説明できんのだけど、ほとほと疲れた日の夜ってすぐ身体を労って横になりゃいいのに、アドレナリン効果なのか、更に自分自身を追い詰めたくなる時があって。

会期終了、搬出終えて帰宅した後に「絵を描かねば」と机に向かいました。が、案の定緊張感なくロクな絵にはならず、後悔。

f:id:Kond:20210914005208j:image

打ち上げで食べた中華料理に含まれていた大蒜。真っ暗な部屋。展示のプレイリストにあった婦人倶楽部の「そいえば台湾」が繰り返し鳴ったまま、ぐっすりと眠りに落ちました。

 

ああもうこんな時間になっちゃって。

肩が痛い。

 

そして首が痛い。なんなら腰も痛くて、中腰になると「おお」っと思わず声が出てしまうくらい痛い。

 

原因は机での長時間の作業。絵を描いたり、こうしてブログの文章打ったり。

まだブログの時はいいのだけど、絵の細かな箇所を描く際に、顔を近づけて机に伏せるような姿勢でいるからまじでダメ。棟方志功か。...まあでも治らんのよね。

ダメだって、そのままでやってたらいつかどこか壊すよって言い聞かせてはいるのだけど、そうしなきゃ描けないのだから仕方ない。描けなきゃ先にも進まんし。

 

なので最近は、”高濃度炭酸ガス”が含まれた入浴剤を使って、少しでも身体の負担を和らげるようにしています。以前だったら考えられない、真冬でもシャワーだけで済ますくらい入浴面倒人間だったのに。

選んだ入浴剤は発汗作用もあるので、顔からは滝のように汗をかき、炭酸がしゅわしゅわとした気泡を放出しながら身体を包む。ぼーっとしながら考えるのは描きかけの絵の方向性だったり、次のブログの内容についてだったり。元々バランス釜だった浴槽を改修して使っているので、足は伸ばせず体育座りの形だけれど、それでもリラックス。

 

10〜15分、たんと汗をかいた後は冷たいシャワーを足から徐々に頭までかけていく。

これは擬似サウナ効果を期待して。

身体を拭いた後は簡単なストレッチ。各所伸ばし過ぎず適度な力加減で数秒ずつ。

不思議なもんでこれだけでもいくらか気分は軽くなる。

 

それでもやっぱり身体の節々は痛いままで、なんだかずっと重石を引きずるように動いている感覚。これがドラゴンボールの重力修行ように、いつか解き放たれて従来の何倍ものパワーを手にするなんて夢物語。ありもしないし今更そのネタ面白くないしで、なんだか自覚なくとも30過ぎた肉体は徐々にその変化を、鈍感な主人に伝えているのだと思う。

 

日付変わって今日と明日、新宿丸井で開催しているnisaiコラボ展示も終わります。

両日ともに終日店頭に立って「いらっしゃいませー」「ありがとうございましたー」と、これまたアパレル販売員よろしく擬似丸井スタッフとして楽しく過ごそうと思います。土曜日が一番人来そうだな。よろしくお願いいたします。

 

---------------

 

nisai 2021/5th (Fall) Collection
“終わらない服(それを愛と呼ぶことにしよう)”

 

with.

HACOMIDORI

ねおう

HARUHO TAMAKI

カクレミ

近藤大輔


新宿丸井本館二階
2021年9月3日(金)ー9月12日(日)
東京都新宿区新宿3丁目30-13

 

---------------

 

f:id:Kond:20210911032459j:image

 

あーいてて。