傷に気がつくこともある

小学生の頃に友達と遊んだ記憶。 

 

自分の家で、ダンボールとカッターを使って何かを作ってた。それは、秘密基地だったかもしれないし、好きだったジュウレンジャーの合体ロボだったのかもしれない。

勉強机と椅子を柱にして、その上に布団をありったけ乗せた秘密基地。そこで何するわけでもなく、家の中にもう一つ自分だけのスペースがあるということにワクワクしていた。それと戦隊モノのおもちゃをたくさん持っていたらしい。五体の恐竜型ロボットが合体して一つの人型ロボットになる、その不思議に好奇心を完全にもっていかれていた。今でもCMでそういう商品を観ると「おっ!」と思うし、トイザらスは夢の国だ。

そんでまあ、次第に戦隊モノから仮面ライダーの変身ベルトに興味は移行していくのだけど。

 

もしかしたら形作る結果には興味なくて、その過程に全てがあったのかもしれない。

とにかく友達と2人して夢中だった。

 

大人のいない三階建ての家、そのリビング、テレビもつけずに静かな午後。

たわいもない話をしながら、ダンボールを折り曲げたり、カッターで切って好きな形にしたり。

そのうち時間も経ち、飽きてきて集中力がきれたのだと思う。分厚いダンボールを切っている時に刃が途中で食い込んで、それを引き抜こうと無理に力を入れた瞬間、手にかかる力が一気に抜けて、刃先は左内腿に刺さってた。

 

ちょうど太い血管があったところだったのか、今だにあの時以上の出血を目にしたことはない。痛みというよりパニックだったと思う。友達も慌てふためくし家に大人はいない。

リビングには仏壇が置いてあったんだけど、その仏壇の前に呆然と座った自分がいて、遠くで友達のなんて言ってるか認識できない声が響いてた。畳は赤かった。

 

 

なんかその後の記憶が曖昧で、というかほぼ覚えていない。

時間が経って親が帰ってきて対処してもらったんだと思う。気づけば内太腿には包帯が巻いてあった。

それ以降ダンボールで遊ぶことはなかった、カッターも恐くてしばらく触らなかった。

 

 

傷はずっと残っている。

見るたびにあの時のことを思い出す。恐怖とかではなくてむしろ安心するような感覚。小学生の頃の自分と、29歳の現在の自分とがちゃんと地続きで繋がって生きてこれたんだという印のやうな。

身体の傷痕ってそういう役割もあんだな、と自分で言って自分で気がつく。