古本屋で働いていると時々、棚の前でスマホを触っている客を見る。
おそらく欲しい本があったのだろうが、もっと安い値で買いたいからとAmazonやメルカリなどで調べているらしい。
ああいう行為は、当人は知られていないと思っているかもしれないが、側から見ると不自然な動き(何度も本棚とスマホで視線が往復している)をしているのですぐにわかる。
例えば、電車の中で揉め事が起こった時に、こっそりサイレントで写真や動画を撮っている奴も大概バレてる。目線と手の位置が、明らかに通常の操作している状態とは違っている。
なのに知られていないと平静を装って記録している。
そういう奴を見かけると落胆してしまう。そしてただただダサい。
人の醜態を隠し撮りしてキャラクターに扮したアカウントでSNSに上げてる奴とか、もう終わってる。
話がずれたけど、物をどれだけ安く買えるかって調べること自体は悪くない。堅実な考えだし、今の時代、提供側はサービス(工夫って言い換えてもいいかも)を疎かにすれば、台頭する新しくて便利なメディアに順を抜かされるのは仕方のないこと。
ただ礼儀をなくしちゃいけないと思う。
せめて店の外に一旦出て調べるとか、なんなら店のスタッフにどうしても欲しいからと値段交渉してみるのもいい。
同じ商品を扱っていても店によって特色は違うから、その商品の必要度に応じて値段が安かったり高かったりは当たり前で。そういったことの積み重ねで店の価値は出来ている。(特に古物系)
だからその価値の中に違う価値をスマホ一つでサクッと持ち込もうとするのは、言い方悪いけどただの暴力でしかない。
それにせっかくの出会いを、ただの「数字」でしか測ることができないのは寂しい。
あっ、これ欲しいな。って思った自分の気持ちとか、そう思わせてくれた場所に対してだとか、その前後の時間だとか、色んなことが合わさってモノの価値になっているのに。
居酒屋で飲むビールが市販の倍してたって誰も文句言わない。わざわざコンビニで買ったものを持ち込む人はいない。
そこにあるのは場所という価値、誰かと共有している時間という価値。
まあ値段だけに限らず、今だとフォロワー数とか拡散数とか、そういった「数」だけに焦点を当てたお前の価値ってそんなものかと。
そもそもAmazonやメルカリ等のネット販売している人らは薄利多売なので、量を出すことでしか生計が成り立たない。だから1円出品みたいな市場価格を無視した値でも販売する。
質より量だから一つ一つの商品がどうか、というよりもいくらで売れるか売れないかなので、単純な物質として扱う。
実店舗がないから家賃はかからず、1人でやれば人件費もかからない。そりゃ安くできる。
電気店やスーパーみたいに「競合店より1円でも高かったらそれより安くします!」みたいな売り方ができるわけでもない。
すごく極端な言い方をすると、2次流通しているモノは人の気持ちによって価値が付けられていくから、そこの意思疎通が出来るか否かだけだと思う。だからお金はおまけみたいなもので重要じゃない。
なんか勢いで色々書いたけど別に、困窮している店側の事情も知れ!て話じゃなくて、数字に縛られた行動とか言葉ってつまらんですよね。ってことです。