凸凹ショップ

 

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その「四季書房」の向かいにある駄菓子屋「凸凹ショップ」も好きな店だった。

 

入ってすぐに駄菓子、スーパーボールや小さな着せ替え人形といった懐かしの玩具、レジ横にはガラスケースにディスプレイされた遊戯王カードのレアがキラキラと輝いていた。

さらに右に曲がった店の奥には、遊戯王カードで対戦するための机と、それを取り囲むように古びたパチスロ台がピカピカと光っていた。

壁には昭和のアイドルが眩しいくらいの笑顔を輝かせていて、それは経年によるヤケやシミを感じさせないくらいに顕然としていた。

 

店は20時まで開いている。

 

その時間まで近所の子供たちが奥の対戦台でいつもワーワーしていて、店主のおじさん(60代前半?)もカードに詳しいようで、子供たちと一緒に楽しげだった。

そんな様子を、仕事が終わって帰路の途中に見かけるとなんだか嬉しくなった。

 

思えば遊戯王カードの最初のブレイクは自分が小学生の頃だ。

もう世の中の男子はみんな持っていたんじゃないかってくらい盛り上がっていた。

友達と集まれば所かまわず遊戯王カードの対戦だったし、ゲームボーイでソフトが発売されてからはその熱を加速させた。

それから時は経ったけれど、何回も再評価されて、今の今になっても現役で子供や大人を楽しませている。すごいことだ。

その温度が年齢をこえて地続きでつながっているように感じた。

 

 

まるで友達の家にお邪魔してるみたいな場所。

そこにいけば必ず誰かいて、必ず何か楽しいことが起こる。時間を忘れて過ごせる場所。拠所。

夜に店から漏れる明かりで、表に出ているカゴの中のビニール製のボールとアンパンマンの人形が光る。

 

周囲は戸建てとアパートが適度な距離感をもって存在する。帰宅するサラリーマン、子供を乗せた自転車を運転するお母さん、都心のショップで働いてる同い年の人たち。

 

静かな道。

 

元々は商店が並ぶ活気ある通りだったらしく、シャッターは閉まっているが、上のほうにそれぞれの店の名前が残っていた。 

営業しているのはこの凸凹ショップと向かいの四季書房(調べたら現在は営業を停止していた)と、少し離れたところにあるクリーニング屋だけ。

小さな居酒屋とスナックが入った建物は取り壊されて無くなった。理由は知らない。

 

 

駄菓子。

駄菓子の言葉の由来は江戸時代にさかのぼる。当時、砂糖は上等な甘味料だった。だから庶民は砂糖をたっぷりと使った菓子(これを「上菓子」と言う。)を口にすることが出来なかった。

なので砂糖よりも安価な水飴や果物で甘みをつけたものを食べていた。これを「一文菓子」や「雑菓子」などと名を付けていたらしい。

それらの名称が明治から昭和初期にかけて時間と共に変わり、今では当たり前の呼び名となった安物の菓子をさす「駄菓子」となった。

 

1個十円のチョコリング。

凸凹ショップに寄るときはいつも同じものを買っていた。

真ん中に穴が空いているカステラ生地に、チョコがコーティングされた駄菓子。

レジの端のポットに入っていて、それを欲しい数だけ自分で取る。いらなくなったチラシを折って作った袋を店主がくれるので、それに入れて会計を済ます。

(今日は200円分も買ってしまった!子供の頃じゃできなかった贅沢!!)

なんてことを思いながら家に着くまでに2、3個つまみ食いをする。

歩く。

 

公園の横を通り過ぎるとき、遊具の頂上に座る子供と目が合った。すぐに逸らした視線に自分で驚く。

土手沿いに住んでいたからよく川遊びしたっけな。高い所に登ったら周りが山だらけであることを実感して、(向こう側には一体何があるんだろう)なんて今じゃ漫画のお約束みたいな設定のこと想像したりもした。

パッケージの違いから遊戯王カードのレアを当てる方法だとか、自転車でどこまでも行ける感覚だとか、水濡れの週刊ポストでドキドキしたことも覚えてる。なのに、逸らした視線。

甘いチョコ。

 

日が暮れるには早い季節の空。

浮かんだ雲の濃いグレー、は帰ってソファに座ったら忘れてた。