松田という友人

どうもこんにちはこんばんは。近藤です。

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あっついですね、あつい。

昨日の夜、夏の虫の鳴き声が聞こえてきたけどあれ心地よかった。

暑いのは苦手だけど、日が長くなるのとか、こういう季節を感じることは好きです。

 あとこれはほんとどうでもいいことだけど、クリエイティビティーを発揮する波にものれない人が漂流する先は一体どこなんでしょうね。現実もだめネットも居場所が埋め尽くされて、みんな宝島に着けるといいな。 

 

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さて、今日は、僕が絵を描くきっかけになった人のことを書きます。

 

 

高校時代に”松田”という男と出会った。年齢は一つ下。

ほそっちょろくて、まな板みたいな身体をしてた。顔はねずみ男みたいで(ちなみに付き合いあるから補足しておくと、現在は服のデザイナーとしてバリバリ活動しているし、それが外見にも表れてていい顔つきしてるヨ。あくまで当時の印象。)紫色のウインドブレーカーや柄シャツ着たりしてて常にヘッドホンを首からぶら下げているような奴だった。

いやまだあるな、他にも急に「映画撮る!」って言い出して友達とビデオカメラ手に持って校内を走り回っていたり、かと思えば生徒会長してたりして、「ピアノゼミ」ってのに一緒に入っていて、そこではフジファブリックの「銀河」や「虹」を弾いたりギターも持っててバンド組んだりもしてた。かと思えば授業中はポケットに入れてある文庫本を引っ張り出してずっと読んでたり、こっちは集中してノートに書き写してるのに平気で話しかけてきて、なのにテストでは80点くらいをとってたりして(なんなんだこいつ!)って思ってた。

こうやって箇条書きで書き出すとキリないくらいあるな、。

よくカラオケにも二人で行ってて、なんせ静岡のまねきねこって安くて、これは東京きて驚いたことの一つなんだけどカラオケ料金が高い!高すぎる。静岡のまねきねこは午前中の10時に入ってそっからフリータイム全開で使って20時までの10時間で800円くらいだった気がする。だから「10時間耐久カラオケ」つってコンビニで食料を買い込んで二人してひたすら歌うってことをしてたな。

俺はミスチルで松田はエレカシ

いまだにエレカシを聴いてると彼の歌った時の動きとか声色とか思い出すくらい、その時の体験っていうのかな、印象に残ってる。

 

そして何よりその存在を決定付けたのは、放課後に美術部で絵を描いてた姿。

色んなことに興味対象があって気分屋なところがあった彼の、ナイーブな一面をみたっていうのか、いつもとは違う表情だった。画面は鮮やかだったけれど、どこか芯に暗さがあるようなそんな絵だった。

スイスにパウル・クレーという画家がいて、音楽と絵画を結びつけた人の一人とされている。松田はその人の作品が好きだった。

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黒い線で区切られた場所に色が存在している。音なのか感情なのか風景なのか、それは本人にしか分からないけれど、本人には分かる確かな手つきで絵を描き上げていった。

時々知り合いの展示スペースを借りて個展やグループ展をやっていた。今は無くなってしまったけれど静岡駅内の5階にあった「静岡アートギャラリー」という所で展示を企画していて、そこにも遊びに行った記憶がある。なんせ行動的で、その時の自分にはない”キラメキ”、、というのか、なんだろ、「すごいなあ」なんて口あんぐりのアホ丸出しの感情だったのかもしれない。今思うとだけれど。

 

だからか、彼の展示に観に行くうちに「自分も絵を描いてみたい」と考えるようになった。書き方が雑だけど、こんなに身近で年も一つしか違わない彼に描けるのだから、きっと自分にもできるはずだ!と。

それまでの自分はまさに”美術”といったらピカソゴッホラッセン世界線で捉えていたから、自分みたいな凡人とは関係のないことだと思ってた。美術館博物館?年寄りが行くとこだろそれ。それよりバンドかっこいい、音楽で飯食っていきたいと夢見るど田舎童貞だった。

 

でもある日の放課後、美術の先生に話して筆を貸してもらい、絵具を使わしてもらって白い紙に描いた絵は、周囲を山に阻まれてどこにも行けないと将来を値踏みしていた自分の感情を揺らした。気がした。

いまはこうしてパチパチ書いているから、その流れで多少ドラマチックに、色をつけいるかもしれない。まあでも、そういうことがあって。

 

高校卒業する年だったな。

そっから急いで地元でも美術を学べる大学を調べて、その為に必要なデッサンの練習を毎日一人放課後に残ってやってた。でも独学の付け焼き刃だから全然身につかなかったし、今でも物の形や質感、量感とかは全く捉えられない。

でもまあなんとか受かって進学するのだけど、一方、松田は「大学なんて意味ない」って言ってイスラエルキブツってとこに行ってしばらく生活してたな。

大学に入って少ししてからその言葉を身を以て実感したなあ。(勿論良いこともあったけど)

 

とまあ急ぎ足で、なかば飛ばしてる箇所もあったりはするのだけど、更新のタイムリミットが近づいているので今回はここらで。またこの事は書くかもしれません。なんたって松田とは関わってきた時間が長いし、エピソードが沢山ある。

 

見返す余裕がなかったので文体がめちゃくちゃでも勘弁してください、それじゃまた。