Junkle

こんにちはこんばんは。

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 自粛期間がなんとなく終え、美術館や博物館が展示を再開していて(東京国立近代美術館のピーター・ドイグ展をはやく観たい!)、個人での制作発表の場もいろんなところで散見されているので、これから徐々に時代を振り返りながらの文化ビルドアップが成されるんだなあと感じています。近藤です。

  

さて今日は、大学一年生の時に初めて開催した個展のことを書きます。

  

 タイトルは『Junkle』

廃品やガラクタを意味する”Junk”と、木や植物などが密生した森林を指す”Jungle”を掛け合わせた造語になっていて。まあそのまんまの意味というか、”ガラクタ達の集合体”という解釈で作った言葉。

 

この言葉の出発源は二つあって、一つは玉置浩二さんの「JUNK LAND」という曲。

それまで「メロディー」とか「田園」といった有名な曲しか知らなかったのだけど、「JUNK LAND」っていう同名のアルバムをTSUTAYAで借りて聴いた時に衝撃を受けて。

前半の車に乗ってどこかへ向かっているような情景描写から、途中「待ってる人のその前で 遊んでる人のその前で 泣いてる人のその前で 祈ってる人のその前で... 」と、問答しているような繰り返しの場面に展開する。そしてまた移動している情景、そして繰り返しの場面。

二回目の展開が終わって急に歌の中の景色が開ける。

「抱きしめたいガラクタだけど君を心を込めて」という歌詞とともに転調する。一聴”こんな出来損ないの僕から発する精一杯の気持ち”的なラブソングのようでもあるけど、かなり内省的な歌詞や音からしてその相手はもう一人の自分なのかもしれなくて。で、相手がいるとすればそれは必ずしも人間ではない存在だなと思って。

歌詞の最後を「そうジャンクランドで」で締めているところも見ても、その対象は宇宙とか、世界戦争、社会情勢みたいな悲観的に映る出来事かもしれないし、もっと視点を下ろすと身の回りの草木とか風とか匂いとか、猫も蝿も水も生ゴミだって視野にあるのかもしれないと思って。

 

 そもそもの自分の性質的に、ガラクタとか不用品とかっていう物の存在にどこか親近感や魅力を感じていて。(以前書いた”キッチュ”に対する興味の持ち方にも通じる)というのも多分小学生くらいの時の環境がそうさせたのかもしれないけど、その話はまた別の記事で書くとして。

だから「JUNK LAND」で描かれている世界に触れた時に単純にうわーすげーと思って、それが聴いたときからずっと心のどっかに残っていて、初個展のタイトルとして名前を一部変えて表に出てきたのだと思う。

 

 

 思ってたより一つ目が長くなっちゃたな、、、

 

 

二つ目の理由は、個展で展示する作品が廃材を再利用して作っていたからで。

これが実際のその作品。

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形は椅子なんだけど、完全にその用途からは外れている廃材の塊。

 

きっかけは高校の授業の課題だったんだけど、ミニチュアの椅子を作りましょうっていって皆大体10㎝くらいの大きさで気を組み立てていて。

そんな中、自分は「え、こんな木あるんだ」「これも面白いな」とか言いながら端材の入った段ボール箱から持ち出して作っていくうちにどんどんでかくなっていって、気がつけば1m近くなっていった。てか授業内じゃ到底完成できなくて結局授業外でずっとくっつけたり、足を支えるために内部に糸を使って木をくくりつけたり、しまいには色塗ったりして楽しんでた。

 

他に個展で展示していた作品も捨てられてたキャンバスの裏地に描いたりしてて。

だから、単純に画材を買うお金がなかったていうのもあったんだろうけど、その、人から見捨てられたものに目がいく習性は今もあるから、ずっとなんだろうなこの先も。

 

 

 

最後にその個展の様子を。

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静岡市内にあった「My palette」という小さなギャラリー。

60代の夫婦が管理していて、絵画教室に通ってた奥さんの友達や知り合いなんかが時々その成果を展示しているような感じで、周りは昔からある商店がポツリポツリ点在していて近所のおじいちゃんおばあちゃんがよく散歩コースにしている、そんな場所だった。

通りがかる人に興味もってもらえるきっかけの一つになればいいなと思って、外に置いた椅子の上に毎日「今日もいい天気ですね」とか「初めての個展を開催しています」とか一言書いたスケッチブックを置いてた。

 

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展示風景。写真がまともなのが残っていなくて申し訳ない。

奥の壁には会期中在廊しながら絵を描いて、出来次第貼っていった。

 

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とにかく大きい絵を描きたいと思って、合板だったかな、やたら表面が荒いことに困惑しながら絵具塗ってたことを覚えてる。しかも家では描けなかったから真夏に外で壁に立てかけて描いてた。だからすぐに絵具が乾いちゃって、色々と手探りだったな、

この時から向かい合う構図の人の絵を描いていた。

 

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これなんかただの色構成だからね、よくこんなの展示したな、、

 

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在廊中の自分の絵描きスペース。

 

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 展示最終日に撮ってもらった写真。

会期中に壁をドローイングで埋めようと思ってたんだけど、結局間に合わなくて中途半端な埋まり具合になってしまった。

それでも本人はやりきった顔してますネ。

 

 

 

 

 

温かくて素敵な場所だった。

自分の初めての個展がこの場所でよかったと心から思えるし、今こうして文章を書きながらも当時、奥さんと展示の仕方とか相談しながらやったなあとか懐かしい気持ちになって、改めていい経験をさせてもらったと思う。

 

この個展をした数年後にギャラリーは取り壊されていて、その跡地に立派な一軒家を建てて今は二人年金暮らしをしている。年齢のこともあるし、きっと経営も年々難しくなっていったのだろうと想像する。

 

 

展示や作品の質はどうあれ、着の身着のまま『美術』という世界に参加し、その姿をとりあえず社会に見せるということをこの時期にやったことの意義は、自分にしかわからないことだけど確実にあって。

事実、この初個展を機にその後は毎年個展を開催することを自分に義務付けて活動していった。

 

その都度変わる興味対象や展示のテーマについてはまたの機会に書きます。

長い文を読んでくれてありがとうございました!