7月、手前のサイレン

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パトカー、消防車、サイレン。

「どいてどいて」

消防ホースを持った救急隊員が人混みをかき分けて進む。

 

周囲では、スマートフォンのカメラを動画モードにしながら事の行方を見守る人。人。なにがあったの? 火事がおこったらしい どこだ びっくりしちゃって ねー ねぇ

 

7月を目前にした夏の湿気に包まれながら、コンビニで買った夕飯をぶら下げて歩く。

 

火事が起こったらしい現場は家から数十メートルの場所で、家に近付くにつれて近隣の住民の数は多くなり、普段は閑静な住宅街も、そこには当たり前に沢山の人の生活があったことを知る。

 

マンションの窓からは煙が漏れていた。モクモクと。

黙々とその光景の隣を通り過ぎる。自分。 

 

 

 

 

きっと

毎日の達成感によって得られる喜びは、その代償を払ったものにしか与えられることはない。

心がすぐに渇望してしまう自分なんかは、その毎日に過剰に刺激を求めるために行動がそれに追いつかず、すぐに自己嫌悪になってしまう厄介なやつで。

時にそれは心に重くのしかかって身動きする事も億劫になってしまうほどで、感動もなにもあったもんじゃない。くらいのモードになることもある。その症状の名前を知っているけど口には決してしない。言葉は呪い。

 

 

 

 

とまあ、そんなモードで歩いていた。

今日は素麺を啜ろう。暑いし、あまり食欲もわかないし、ささっとすまそう。

そう思いながら歩いていた折に出会したサイレン。

 

状況は知らない、詳細ももちろん知らない。そこでは誰が暮らしていたのか、その家はどうなったのか、どれほどの人が、その光景に集まっていたのか。なにも知らない。

 

ただ、その時なぜか「ドキリ」とした自分の身勝手さは2〜3日忘れない。

と思う。

 

今年、夏の風物詩である花火大会の中止は誰の目にも自明だ。