オーロラになれなかった人のために

こんにちはこんばんは。近藤です。

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今日は佐野弘翔という友達について。

 

彼とは大学生の頃に出会った。

静岡の街中で開催していたイベントに出展していた際、「なにか手伝いましょうか?」と声をかけられたのが始まりだった。

 

その時の印象はもう定かじゃない。ただ、向こうが「活動耳にしています!」なんて言って一方的に知ってくれていたものだから、「えーそうなんだ」なんて内心調子のっていたことは妙に覚えている。褒めてくれる人好きだったんだな、あの頃から。

 

でもその日をきっかけにして以後、展示やらなんやらで会うことが増えていって、気が付けば絵を描いて活動していく中で大切な戦友となっていった。

(戦友って言葉好きでよく使う。友達って言葉は使いやすいから多用するけど実際あまりしっくりこない。かといって仕事仲間というほどシステム化されてもない。時々確認した時に並走していたり先を走っていてくれさえすれば十分、という感覚の戦友。)

 

実際、周囲にお互いが認知されてきた頃にはコンビみたいに扱われることも増えて、単体で動いていても大概もう片方の話題が誰からともなくでる、みたいな感じだった。

 

大学は違っていたけど、しょっちゅう互いの大学のアトリエを行き来してたりしていたから距離はあまり感じなかった。むしろ一緒にいる時間が長すぎて喧嘩することがままにあった。

芸術とはなんぞや、表現することの意義とは、地方で作家として活動していくためにはどうするか、なんてことを答えも出ないまま言葉遊びのようにダラダラと喋っていて、時々その最中にちょっとしたニュアンスが気に障ったりしてムキになったり、無言になったり。俺もバカで、わざとイラつかせる言葉を投げてその様子を楽しんだりしていたからよくなかったんだけど。

でも佐野くんって人は真剣でね、言葉そのまま”真剣”をいつでも持ち歩いてるような人だったからあの当時は。そんな人なかなかいないじゃん。だからそれが他の人では代えのきかない魅力の一つだったということを、いまこの場で弁解しておきます。

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 以前書いたこの記事の中で、作品の展示販売の企画を一緒にやっていたのが佐野くんで、この写真は彼の在籍していた静岡大学で作業していた時に告知用に撮った写真。

若いねふたりとも。

 

 

  

 佐野くんはスピッツ小田和正が好きで、彼が運転する車の中では必ずそのどちらかのCDがセットされていた。中でも記憶に残っているのはスピッツの初期EP『オーロラになれなかった人のために』

これは1992年に発売された全5曲入りのCDで、通しで聴いても23分なので、長距離移動の際には何回も何回もリピートして聴いていた。特に2曲目の『田舎の生活』に強く思い入れがあるらしく、イントロが流れると「おっ、いいね」と言って必ず口ずさんでいたのを今でも覚えている。

 

必ず届くと信じていた幻

言葉にまみれたネガの街は続く

 

高校時代に所属していた合唱部の経験もあってか、佐野くんの歌声はとても澄んでいていい声だった。初期オフコースみたいな感もあって、カラオケに行ったときに小田さんの曲歌わせると、これがまた沁み入って他の友達も静かに聴いていた。その景色。

 

 

 

仏画、自画像、抽象画、華、聖者、死者、鬼、生活。

佐野くんの描く絵は生きている。それは彼自身が生きているということと分かち難く直結しているからで、なによりも力強くなによりも色濃く作品と対峙する人の内面を映し出しているように思う。

声を発している、もしくは無言を貫いている。口から血を流しながら。

草木に水をやっている、作物を育てている、虫の音を聞きながら憎悪している。

画像もなく作品のことを伝えるのは難しい。

 

ある時期から佐野くんは外に出て人と接しながら絵を描くことを始めた。

時にそれは街中を賑やかしながら歩く”チンドン屋”であったり、時にイベントにブース出展してその場で会話しながら描き進めていく似顔絵屋であったり。ヨーロッパの路上絵師のような服装をして陽気に、かと思えば前衛美術のパフォーマンスよろしく、荒れ狂ったような形相をして驚かせることもあった。

とにかくそこには文脈がどうであるとか形式がどうであるとかいった小賢しい細工を挟む余地はなくて、常に人を目の前にした対話だけが、その時間と空間を作っていた。

絵を取り囲んだ人がみな楽しそうだった。

 

何かを否定して何かを肯定したいわけじゃない。

ただ僕は、佐野くんのそういった行動は先を行き過ぎているんだなと思っている。

「似顔絵」とか、やっていることを言葉として取り出すとさして新しさはないんだけど、その更に細部の一つ一つの取り組み方に、今の時代に退化してしまったことが詰まっているように思う。だから世間は早く気がついてほしいな。より多くの人に、彼のやっている仕事の重要さを。3歩も4歩も未来に在るべきことをやっている。気がする。

 

 

いやまてよ、これは佐野くんのことを語ると言いながら自分の思考を書く口実に使っているような気がする。。

とりあえず一昨年に中目黒の「rusu」というスペースでやった二人展の時の写真を載せておく。

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一人の人間との関わりを文章として記すってむずい、、

ましてや関わってきた年数とその密度が濃いとなるとエピソードもたくさんあるし、その中でも第三者へ向けて公開していいものとそうでないものもあったりして。

自分のことなら全部書いたっていいわけだけど、自分以外となるとそうもいかないわけで。本人から事前に「これは話していい、これはダメ」なんて確認とってるわけでもないからさ、むずいです。やってみて感じる。

 

でも楽しくもある。

自分のことを書くよりもよっぽど意義があるように思う。

まだ知らない人へ、こんなに面白い人や物があるよいるよって教えること。

 

 

今一度、佐野弘翔くんとは、

ナイーブで強情張りでメガネかけてて、時に無理やりひねり出した冗談を言っては自分で笑っていて、洋楽ではEDMを最近は愛聴していて、激昂するような絵を描いていたかと思えば抱きしめてほしいと懇願するような眼差しを投げかけてくることもあり、石が好きで、地名や名前の由来に興味があり、歴史や宗教についても詳しかったりして、というか雑学に対しての好奇心がすごくて聞いていて面白い、だけど話し出すと2時間は平気で一人語りをしているから相手はただ頷くしかなく、うっかりすることもあるけど基本的にとても思いやりがある人で、早朝4時半にLINEで連投してくるような人です。

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ほんのちょっとしか書けなかったので、まあまた機会があれば小出しに紹介するかもしれません。

枠にはまらない、いい絵を描くので今後も僕は彼の活動に注目していきます。

 

それでは〜。