会釈

こんにちはこんばんは。近藤です。

 

ここ最近思ったこと感じたこと考えたこと、をつらつらと書いていきます。

 

 

・メモには詩の断片がいくつもあって、それが喜びになってる。

写真フォルダには道端の花が時々映っていて、それを気にとめる心に安心する。

机の上にはいくつもの絵が散らかっている。手、よごれている。

 

・繰り返しの毎日のように思えて繰り返しじゃない、日々衰えと老いとナーバスな気分とにやられながら食って寝てる。不安な夜はいつもある、しかしなんの根拠もない高揚感も時々味わう。危ない気分になりそうな時はどうしようもない、ギターを弾いてもYouTube観ても絵を描いていてもままならない。なのに、どういうことか、近くのコンビニに行った帰り道、風が心地よく感じるただそれだけで軽くなる気分が不思議。

 

・横断歩道手前で赤信号に変わって立ち止まる時、近くに歩道橋があればそちらで向こう側に渡る。車が並んだ道路をざーっと眺めながら歩くと、なんとも言えない気持ちになる。高いところは苦手なのだけど、あのくらいの高さ、少し上から普段の場所を眺めるのは好きだ。でも渋谷とかのみんなが使う歩道橋はダメで、あまり使う人がいなそうな歩道橋じゃないと、なんていうか情緒を感じられない。わかるかな。

 

・これもまた道路話で、信号のない横断歩道を渡る時に、車の運転手と自分とで互いに軽く会釈して通り過ぎるあの動作、なんだかいいなと思う。自転車とか、歩行者同士でもそれはある。あの目が合うか合わないかの一瞬に、少しの動作で気持ちが温かくなる。それが日々の充実に知らずのうちに貢献していることを、時には意識したい。

 

・『紅蓮華』をカラオケで歌ってみる→楽しい!LiSAさんの他の曲も聴いてみよう→『炎』が解禁された鬼滅の刃の映画予告編を観る→うわーこれは最高のやつだ。。。→フル尺で配信され毎日鬼リピート→Netflixでアニメ版を見始める→「なんか全部が説明的で後付け的だなあ。エフェクト表現はかっこいいけど」→そんなケチをつけながらもなんだかんだで最終話→そのまま続く映画版を観たくなる→その前に漫画を読もうとTSUTAYAを巡るも、どこも巻数が欠けていてやきもきする。

 

・2年前に出会った人と、2年越しに絵の売買で再会する。

その人は都心から離れて今は慣れない土地で生活をスタートしてる。僕は東京。

いつの間にか変わっていて、いつの間にか知らなかったことが増えていく。

いつか忘れてしまう人や時間や場所を今も胸に秘めている。

芸術は時間を繋いでくれる。だからこそ続けることに最大の意味がある。

コンセプトもコンテクストも極論、続けることでしか説得力を持たない。

どこに向かっているのか分からない道中だけど、支えられてる感謝は忘れずに、

 

・正直、作品に値段をつけてネット上に掲載する作業は今でも疑いながらやっている。

どこかの団体や場所に属さず、個人でここまでハイペースにネット上に作品を掲載して販売する人を他に知らないからで、まだまだ一方通行感が否めない。というかどこまでいっても一方通行なんだろうけど。

まあ悩みながら考えながら、11月からは更に力を入れて面白い場所にしようと計画しています。

 

 

あと近いうちに発表があります。

といっても自分にとっての嬉しい出来事、それが他の人にも伝わっていけば嬉しい。

 

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