何かに似ている。

こんにちはこんばんは。

 

絵は順調に、生活はあいかわらず困窮に、暮らしています近藤です。

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今日、かつお菜のおひたし作ったのだけど、レシピ見ながらでも全然上手にできなかった。茹ですぎてべちょべちょになってしまって美味しくありませんでした。

料理と芸術は似てるってどこかで聞いたことあるけど、でも、あれ?

 

12月9日に発売されたSuiseiNoboAzuのアルバム『3020』が素晴らしくて、今年聴いた音楽作品の中で群を抜いて痺れた。2017年に発売した『liquid rainbow』から続いた物語が素晴らしい形で結実した、そんなような感覚を受けた。揺るぎなく、余計なことをやらずにただやり続けている。鋭く、浪漫に溢れていて、かといって感傷的にならずに前を見据えている。千年後〜それからまで、真っ向から鳴らしているシブいアルバム。

 

よく考える。想像力。でもしかし行動力に勝るものはないと、思う時もある。そこに至るまでの紆余曲折、は端折る。でも自分の中には確実にある、それは記憶の蓄積、そして何ものにも勝るエネルギー。日々是好日とはいかないまでも、あきらめたくない日進月歩。ださ笑

 

季節の頭だけは残したままで通り過ぎる人の会話だけを聴いてた。

すれ違う人の視線と交わるのが怖くて向こう側の歩道にいる人だけを見ていた。

 

去年オープンしたばかりの飲食店は歩道橋の近くにあって、よく階段の影になった場所で店員が呼び込みをしていた。いつの間にかタピオカを取り扱い始め、いつの間にか居酒屋になり、いつの間にかもぬけの殻になっていた。真昼間でも中は薄暗くて、営業していた頃の什器がポツンと置かれたままだった。 

駅前のTSUTAYAも閉店してしまった。特にそれでセールを行うということもなく、ただ、店の入り口に「長い間ご愛顧いただきありがとうございました!」と書かれた立て看板が置かれてあっただけで、あっけなく利用できなくなってしまった。駅前といえど雑居ビル二階の狭いフロアで、そこにDVDとCDと漫画が互いに邪魔しないように、けれど精一杯存在できるように工夫して置かれてあった。

 

以前書いた古本屋『象のあし』のこと。

ドローイングと象のあし

無くなっていくことに惹かれる。終わるものに興味がある。もしくは終わりそうなものの、その終わり際に美を感じる。でも寂しい気持ちもある。

自分にとっての面白が無くなっていく街にそもそも親しみはないけれど、それでも記憶はこの場所で積まれていって、この数年は確かにここで生きている。

どう愛せばいいのやら。その場所を、時間を、自分を ¥

 

ふと、思ったのだけど、両の手を合わせると絵が描けない。iPhoneを操作できない。目の前には縦になった黒い線、少し歪な線があって、それは祈りの形にもなるし、何かを讃えるときの動作にもつながる。「いただきます」と「ごめんなさい」はどこか似ているのかもしれない。催眠術者が「くっついたまま離れませんよ。」と言う時ほど疑わしいものはなくて、「合掌。」と言う時ほど信仰なものはない。はかない。