植えて飢えた

森山直太朗YouTubeチャンネルにある「夏の終わり」のコメント欄に、「この歌、もし歌詞が”う”だけだとしても感動してる自信ある」ってあって、言い得て妙だなと思った。

ネタのようだけど本心でもあるような、実際、この曲の冒頭はファルセットによるハミングと三線とが重なり合って一つの音として鳴り響いている。それがこの曲の美しさを象徴しているし、それだけになっても、曲がもつ強さは変わらないような気がした。

 

チャンネルの3日前の投稿。

シングル「さくら(2020合唱)/最悪な春」の初回限定版に収録されている、Blue Note Tokyoでのライブ映像が、愛し君へ〜すぐそこにNEW DAYS〜最悪な春の順でダイジェストとして公開されている。

曲だけじゃなく、ステージに立つ表現者としての森山直太朗さんのサービス精神や魅力も十二分に映し出されていて、ダイジェストでもぐっと感動してしまった。

 

もう一つのチャンネル「森山直太朗のにっぽん百歌」にある、「レスター」という曲もとても好きで、折に触れて聞き返している。

他にも「人間の森」「群青」「金色の空」「虹」「日々」等、いつ聞いてもはっと目がさめたり、とても深い落ち着きをくれたりもする、そんな曲が数多くある。

どこかシュールで力が抜けているような、それでいて物事の芯をとらえていて、時に辛辣でさえもする、そんなのが同居する詩が素晴らしい。御徒町凧さんとの仕事。

 

 

あと、詩つながりで最近、谷川俊太郎さんのこの詩がよかったので掲載しておきます。

 

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言葉のたわむれ


飢えて
植えた

植えて
飢えた

飢えには植えがある
植えには飢えがある

 

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金曜の夕方、渋谷駅ハチ公前で待ち合わせの人ごみの中、同じように人を待っている時に読んでいた詩集の中に、この一編があった。

隙間なく埋まった花壇、壁沿いにも等間隔で人、互いに互いを「いっぱいいるなー」の視線でくぐりぬける。別にどうってことはないけれど、この音と意味の遊びに、なんか気持ちが軽くなった。

 

いつになっても、どこまでいっても言葉だ。

手を合わせて救われたい気持ちや、喜びにあふれて握手するその時も、言葉がある。

いつか実感をもって、誰かを幸せにするようなそんな言葉を贈りたい。

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