覚えてる範囲で

どこにも合わないピントで、ただ流れていく景色を見ていた。

大通りから住宅街へ。それまでゴーーと低い音を鳴らして走っていたタイヤは速度を落とし、じゃりじゃりと小石を踏みながら進んでいく。ナビを見ながら「たしかこの辺だなー」と社員。やがて、一軒目のマンションに到着した。

ピンポーン。

事前の説明もあり、挨拶も簡単にしてすぐ梱包作業に取りかかった。食器などの小さい雑貨を一つ一つ緩衝材に包み、段ボールに入れていくのが自分に振られた仕事で、その間に社員は動線の養生をしていた。

 

他所様のモノを取り扱うことに緊張しつつ、それを整理して段ボールに詰めていくのは思ってた以上に時間がかかった。そのうちに、養生を終えた社員が戻ってきて3人で梱包作業。並んでみると流石に作業のスピードが違う。あっという間に詰め作業が終わり、残すは大型家具の梱包となった。

 

冷蔵庫やテレビは専用の布で包んでしまえばいいので比較的簡単だったけど、家に入った瞬間から強い存在感を放っていたガラス製のテーブルとテレビ台が最後に控えていた。他人の家の中で、こだわりのありそうなインテリアほど怖いものはない。要所要所で自分も支えたりはしたものの、これもほとんど社員2人が迅速に丁寧に梱包して無事に終わった。

仕事だから切り替えてこなすことは当たり前なんだろうけど、ギャップなのか、車内での出来事ですっかり訝しんでいた心はほんの少しだけ影を薄めた。

そしていよいよトラックへの積み込み作業が始まった。

タンタンタンタン。

階段を急ぎ足で降りていく。

 

もう何度目なのか覚えてないけど、部屋に積まれた段ボールは減っている気がしなかった。運ぶ前に教わった荷物の持ち方だけを確実にしながら、何度も出入りするために踏み潰された靴のかかとはもうどうでもよかった。

横を通り過ぎていく社員は階段を2段飛ばしで駆けていく。自分が1回荷物を運び終えるまでに、社員は2回運び終えていた。

当然な差なのに、変な負けず嫌いが発動して、抜かされるたびに情けなくて悔しかった。両手に上手に力が入らなくなってきて、足も重くなっているのがわかる。汗も止めようがない。荷物を安全確実に運ぶことが最優先で、ましてやゲームじゃないから勝敗もないのだけど、やはり前半の態度に対して仕事内容で見返してやりたい気持ちがあった。

 

どのくらいかかったのか、結局途中からは考えることもやめて、決められたルートの往復にだけ意識を集中していた。

全部積み終わって息が切れ切れ。社員の方は軽度の運動したな、くらいの感じで養生の片付けをしたり次の目的地を調べたりしていた。そのうちに準備ができて車に乗りこみ、今しがた積み終わった荷物を下ろすため、お客さんの新居へと向かった。

 

 

とまあ、ここら辺までは割と記憶していたのだけど、この後の荷下ろし、そして二軒目の団地住まい家族引越し作業のことは、正直「大変だった」としか思い出せなかった。

断片的にあるのは、冷蔵庫の下部を持ちながら階段の踊り場をどうやって曲がりきろうか試行錯誤したことや、へろへろになりながら歯を食いしばって段ボールを三箱、無理して運んでたら途中であわや落としそうになり、社員がすかさず助けてくれて「無理しなくていいから」って二箱持っていってくれたこと、ちゃんと水分とれよって渡されたペットボトルのこと、最後の荷下ろししてる時にトラックの後ろに見えた夕陽のことだった。

 

たった1日のバイト談なので、フリからオチみたいなものは何もないのだけど、今でも宅配業者の人がわざわざ手渡しで荷物を持ってきてくれた時とか、停車中の引越し業者のトラックを見かけると、この日のことをふと思い出します。