窓辺の猫

家からコンビニまでの道、いつも通り過ぎる家の窓辺には猫。

木を模したふにゃふにゃのクッションや、お気に入りらしい寝床のバスケット、アスレチック遊具のような足場、ピンク色した猫用の小さな家にも窓。

そこから時々顔を出してはこちらを窺う、まんまるの視線と目が合う。

 

道路に面している一階の部屋。おまけにカーテンが付いていないので、常時なかの様子が丸見えになっている。けれど6畳ほどの空間には猫が生活するために必要なもの以外置かれておらず、人の気配がまるでない。にゃーんと大あくびして昼間から安心安全の生活を約束されている猫たち。(3匹いた)それを別室で暮らしながら世話をする家主。おそらくは年配の、金銭的に余裕のある猫溺愛家なのでしょう。そう勝手に仮定している。

 

とか言いつつ、人様ならぬ猫様の部屋の様子をまざまざと注視するのは流石に躊躇われる。でもあの引力を無視し続ける自信もない。路地裏の野良猫にさえ、散歩のルート変更を余儀なくされてしまうほどに弱い。

なのでルールとして、行きと帰りに通り過ぎる一瞬、ちらと横を見るだけと決めている。歩幅はいつも通りのスピードで、声かけや写真なんてもってのほか。あくまで迷惑はかけずに、ありふれた風景の中にある自分だけの小さな楽しみポイントとしてわきまえている。

 

とか言いつつ結局は、

日中この時間寝てるかな起きてるかなとか、もし1匹でも窓辺にいたら今日はいいことあるぞとか、それこそ3匹揃っている場面を見たもんなら内心「よしっ!!!」ってガッツポーズだけど、表情はあくまでなんの感情も動いていないように努めたり。夜、暗がりの部屋でいるのかいないのか分からないまま通り過ぎようとしたら視線、縦長に開いた瞳孔がガラス越しに浮いていて、驚きながらもやっぱり喜んでしまったりして全然落ちついていない。

 

数ヶ月前までがらんどうだった場所にある日いきなり猫の目登場。

ただの猫でしょ、と思いきや見事に虜。狂わされている。

 

いつからか指先を意識するようになった。

 

絵を描くとき、彫刻をつくるとき、外を歩いているとき、人と接しているとき。

それぞれに応じて用途は違う。だからこそいつどうにでも使えるように日頃から整えていたくて、だいたい3日おきのペースで爪切り。1年くらい前からは爪やすりも導入して、より丸く深く整えるようになった。

 

ただ不思議なもんで、学生の頃はそんなことを別段気にすることなく過ごしていた。

それこそ1週間切っていなくても平気だったし、絵を描いてそのまま絵具で汚れた状態でも外を出歩いていた。というか、むしろその状態のほうが美大生っぽい雰囲気を演出できて内心は得意げだった節がある。そういう学生だった。

なのに今や、絵を描いて汚れてもそのままにはせず、一度手を洗ってリセットした状態にしないと次やることに集中できなくなってしまった。それはおまじないのように、いい仕事をするためには指先から意識しないとだめ、と思っているからかもしれない。

 

爪、そもそも手を見る癖がある。

土木や工場勤務の人の手はゴツゴツしていて古い大木の幹みたい。土や油の匂いがして皮も厚く、指のひとつひとつが太い。重ね合わせてみてもその迫力の差は歴然だし、そういう手の人と腕相撲して勝ったことが一度もない。

ギターをフィンガーピッキングする人の指先は楽器の一部だから、程よく伸びた爪と、それが割れないようにコーティングされたオイルで艶めいてきれい。

営業や接客をする人の手先はもちろん意識が行き届いていて、と言えばそうでもない場合も多々あって、じゃあ他にどういう点がこの人の売りなんだろうと推測しながら会話を進めていくのも楽しかったりする。

役所なんかで話を聞いている時、ワンポイント腕時計で遊びを入れている人を見たりすると、はっとして書類から一瞬顔を上げて確かめたくなる。

 

他にもレジで金銭授受する際の手つきとか、トーク番組に出てる芸能人の、自分のターンじゃない時の手の位置や動かし方とか、そんな逐一見ているわけではないけど、ふとした時に気になってしまう。

目とか口とか声のトーンとかよりも、意外と操作しきれない深層心理の部分だったりする。

 

まあそんな感じで最後にまた自分の手の話に戻ると、たまに作品を持って写真を撮る際に、作品以外の部分に余計な意識がいかないようケアをしている。

爪はもちろん、画面に映るであろう指付近の毛は剃って、仕上げに保湿クリームを塗って完成!土台としての役割をちゃんとこなせるように準備をする。

怪我したって熱出したって寝てれば治るでやり過ごしてきて、シミもシワも来るならこいみたいな態度だったのに、まさかこんなにも爪や手に対してセンシティブになるとは学生の頃には思いもしなかった。

 

ちょうどその頃発売したマキシマム ザ ホルモンのシングル「爪爪爪」

この文章書くにあたって思い出し、歌詞を見ながら久しぶりに聴いてみたけど、センシティブの欠片もなかった。

でも本当はそれでいいんだよな。

 

よくもまあ

8から14に。

長年使っていたiPhoneを買い替えました。

 

およそ6年、何度か修理に出したりはしたものの、それでも今の今までよくもまあ耐えてきたなと思う。てか耐えきれてなかった瞬間はいくつもあった。

 

写真を撮っている時たまに連写モードになって、どこを操作しても治らないからそのまましばらく放置してたらプツンと画面が真っ暗になり、電源を入れ直して確認してみたら1200枚くらい写真が増えてたり。

文字入力画面の左半分が反応しなくなって、さ行、は行、ら行のみしか使えない筒井康隆小説みたいな状態になったり。

ブラウザの「戻る」がいきなり発動して次のページへ進みたいのにイタチごっこ。ずっと同じ画面にアクセスし続けてる人みたいになったり。

ホーム画面のアプリを全消去しそうになったり、イヤホン挿してもスピーカーから音流れたり、指のスクロールする方向とは別の方向へ画面が動いていくのも今や懐かしい思い出。

 

もの持ちがいい。みたいないい響きの言葉ではなく、単純に面倒だったのと、まあそれでも使えてるしでやり過ごしてきた性格の6年。

カバーもフィルムもせず、画面が割れたらガムテープで補修してよしとしてた感性で、よくもまああんな動物たちの彫刻つくれるよなと自分でも思う。

 

一応現行では最新機種の14、操作してみて感動。

写真が撮れる!画面が明るい!勝手にボタンが反応しない!んもう最高!!

 

当たり前のことにいちいち感動して、まるで初めてスマホ持ったときのようにいろんな機能を片っぱしから試して気がつけばこんな時間。明日からは生まれ変わったiPhoneと共に、より良い仕事をしていきます。

 

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ありがとうね。

太る服

月に何度か行っている古着屋があって、この前も散歩がてら寄った。

店内を反時計回りに見る中で、4着気になる服があったので試着をした。

うち2着はサイズ感の問題と、自分には合わないデザインだったのでキャンセル。

ほか2着はベーシックだけど着心地がいいので購入。レジに持っていくと店員さんが「黒い服がお好きなんですか?」と。確かにその日は全身黒。靴だけかろうじて白。出かける前、今日は古着屋以外どこも行く予定ないし、それに試着するなら合わせやすい無彩色がいいだろうという判断で選んだにしても、人から言葉にして伝えられると少し恥ずかしくなってしまう。

「いやー結構ほら、顔が濃いめなんで、着る服も主張強いとうるさいかなーと思ってシンプルに」なんて少しズレた返事をしながら、選んだ黒色のシャツがきれいに畳まれていく様を見ていた。

 

また違う日。

ユニクロに行った。

わりと大きめの店舗だからこそできるディスプレイ。カラーチャートのように並べられた靴下やTシャツに、いつも「きれいだなー」と感嘆の声が心で漏れる。

家で作業する時間がほとんどなので、その作業中、視界の邪魔にならないような、かつ日によって気分を変えられるくらいのバリエーションで好きな色のTシャツを4着選ぶ。

全身黒みたいな日は、靴下の色でその日のテンションを決める時があるので、いつどんな色でも選べるようにクレヨンの基本セットみたいな色の靴下を4足購入。帰りがてら無印良品でも3足購入。計7色の彩り。誰が30過ぎ男の足元事情知りたいか、なんて思いながら字数を稼ぐ。

68kgから88kg、そして80kgに。

7年前に東京に越してからというもの、生活習慣の乱れやストレスで次第に体重が増えていき、特にここ2年くらいの彫刻制作生活のおかげでまったく外に出ることがなくなった。その成果あって、過去最大の体重を叩き出してしまったのは今年の3月。

今後、展示や打ち合わせ等で人に会う機会も増えていくのに流石にこれはやばい、ってことで毎日運動をするようになった。食事も見直して節制している。

そうこうして気づいたら2ヶ月経ち、体重は8kg落ちた。

まだまだBMI的には肥満体型だけど、それでも以前より服を着たときのシルエットがきれいになっていることが嬉しい。ベルトの穴も3つ縮んだ。

 

服を買った日の帰り道はなんだか自分に誇らしげで、それはまるで根拠のない自信なのだけど、手に持つ袋の中にはこれからの自分をきっと後押ししてくれるような、そんな存在を感じている。

クールじゃない

ありがたいことに、ここ2年くらいは展示や制作の依頼が続いている。

たまに文章執筆の依頼もあって、それはこのブログや、ネットショップに彫刻作品を掲載する際の文章を読んだことがきっかけだったりして、そういう時は残してきた甲斐があったなと思う。

ただ、そうした依頼も全部受けることはできないので、断ることも多々ある。

 

ほとんどは制作スケジュールの都合なのだけど、会場やイベントとの相性もあったり、相手のことを信頼できるかどうか、そもそも楽しそうかどうかの気分も判断基準としてはもちろんあって。だからたまに、SNSで伸びてる系のイラストレーターとかにローラー作戦してるだけの営業定型文を送られてくると本当にげんなりする。

熱も何もない長いだけの文章に「誰でもいいんじゃん」って思わず言いそうになる。それでも一応ちゃんと断りの連絡はするけど、大抵そういう人たちからの返事は来ない。なんなんだ!

 

他にも、「いま注目の現代アート〜」とか「あなたの作品を海外に発信〜」とか、そういった言葉が冒頭にあるようなイベントや展示の誘いはまず受けない。前者は流行りだけを見てるハリボテだし、後者は錆びたルアーの釣り人で、どちらも建前は作品だけど、つまるところ売買が目的なのでつまらない。

 

一見興味を惹く内容であっても、社名を検索かけてホームページを見てみたら、あからさまにフリー素材で構成しただけの内容で、スーツ姿の外国人が乾杯してる写真しか印象に残らなかった。念のため運営会社の住所を調べてみたら看板も何もない畑が出てきた。

 

「個展開催しませんか?」とお誘いが来たので、まず会場使用の概要を訊いたら「1週間20万円です」とか。

 

海外のアパレルブランドから「コラボしませんか」という旨のメールがきて、英語出来ないなりに翻訳サイト使って何回かやり取りして話を進めていたら、あるとき「当社の代表があなたの作品をとにかく気に入ってる。今度電話で打ち合わせできますか?」ときたから、正直に「すみません。私は英語を話すことができないので、今まで通りメールでのやり取りで進めることは可能でしょうか」と返したら、それ以降パタリと連絡つかなくなったり。

 

みんなやってるソフビやラグ、陶器への展開もなんだか気乗りがしないし、ネオン管オブジェとか企業ロゴの彫刻化も俺じゃないよな、という気持ちで断ってきた。

考え方が固いと言われればそうだろうし、そんな選り好みして偉そうにと思うかもしれないけど、セルフプロデュースとは名ばかりの、ただネットで認知され出してきただけでそこになんの面白みも感じない活動をしてる人を見ていると、自分はそうならんように気をつけなきゃなと思う。

というのも、どこか表現する人には頑固でいて欲しいという自分の中での願望があるからかもしれない。シーンに対するウケとか、時代の価値観とかにピントを合わせ過ぎず、勝手にやりたいことをやっていて欲しいというか。難しいのかもしれないけど、そっちの方が絶対的に面白い。

まあとはいえ、今まで受けてきた仕事や展示で自分自身が後悔なかったかといえばそうではなく、その都度振り返って反省をしながらこんなことを書いてる。

 

お金だって生活できる分あればいいから、無理に稼ごうとする必要もない。

欲は深いほうだけど、所持金の多さでは満たされない。

もし皆が飽きて作品が売れなくなったらまたバイトすればいいし、家賃を数ヶ月滞納していて催促の電話が怖くて夜眠れなかったり、電気ガス水道止められたって絵を描くことはやめなかったわけで、そういう過去を思うと、なんか大事にしたいものを続けてさえいればどうにだってできると思える。現在朝の5:30分、深夜のテンションそのままで書いてたらこうなる。

 

ブログ以外では日々淡々と作品画像だけを載せているアカウントなので、人によってはそれが「クール」な人物像を想像させるらしいのだけど、実際はこんなにも拗らせていて、むしろ相当面倒くさい人物ですよってことを、これからもブログでは示していきたい。

 

何かあるようで何もなくて

4月。生活のあらゆる場面で聴いていた、もしくは口ずさんでいた曲を、少しの理由と一緒に紹介していきます。

 

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・スピッツ「美しい鰭」「さらさら」

まず「美しい鰭」は今月一番聴いていた曲。

前回や前々回の引越しバイトの文章を書いてる時、ずっとこの曲だけを聴きながら昔の夏日の情景を思い出してた。

最初に聴いたのはコナン映画の予告解禁で、サビの澄んだファルセットがとても印象的だった。今までのコナン映画の主題歌ってパワー系の曲イメージがあったから、意表を突かれたのもあったかもしれない。フル尺が配信されて初めて聴いたイントロにも驚いた。ドラムからベースとホーンが重なってくるあのパンチ力。でも力は抜けていて、陽気なんだけど憂いがあるリズムにテンポ、なんだか楽しい気分で曲は進むのに、サビのファルセットで一瞬違うところに景色が変わる感じ。常々羨ましく思う、音楽の魔法。

歌詞の「秘密守ってくれてありがとうね」の一節が特に好き。

「さらさら」は以前からよく聴いていた曲だけど、同じ水辺の描写というので「美しい鰭」を聴きすぎて疲れた時にたまに寄り道してた。

 

・椎名林檎「ありあまる富」「月に負け犬」

「ありあまる富」は、天気の良い日に窓の外の住宅街見てたら自然と口ずさんでた。

淡々としてるようで徐々に熱を帯びていく構成の曲もMV(青空を背に家具家電が投げ捨ててられていく画がスローで続く)も好き。14年前の曲なのに、音も言葉も鋭く、色褪せてなくて目が覚める。初めて買った椎名林檎のCDでもある。

「月に負け犬」は無性に聴きたくなる時がある。冒頭の「好きな人や物が多過ぎて見放されてしまいそうだ」だけでグッと身体に力が入る。

 

・東京事変「私生活」

久しぶりに電話した友達が好きだと言っていた曲。

へーそうなんだ。と会話してる時はさほど展開することもなく次の話題に移行していったのだけど、電話を切ってから何気なく聴き返してみて、あらためて良い曲だなと思った。その友達には子供が産まれて父親としての役割もあり、そのこともなんか浮かんできて感慨深かった。そういえばこれも、初めて買った東京事変の「娯楽」というアルバムに収録されてる曲だった。

 

・B'z「スイマーよ2001!!」「今夜月の見える丘に」

B'zはもう最高。今の気分で二曲選んだけど実際は全体的に聴いてる。

親戚のおじさんがB'z、BOØWY、長渕剛が好きで、中学生の頃、ジャケットがキラキラしていて目を惹かれたのか、B'zのベストアルバムだけ借りて聴いてた思い出がある。その時は皆がよく知るヒット曲のイメージでしかなかったけど、時を経て、オリジナルアルバムを全部TSUTAYAで借りて聴いた時に「なんだこれ」と衝撃を受けた。ジャニーズやハロプロ曲のヘンテコな面白さとも違う、ハードロック文脈だからこその、なんというか、、やばさ。それをあのギタープレイと歌唱で完成させている味深さ。毎日のストレッチに欠かせない音楽。

アルバムだと「SURVIVE」「ACTIONC」「MAGIC」が今の気分。

 

・奇妙礼太郎「お茶を飲もう」

J-WAVEで毎週日曜深夜に放送している岡田准一さんのラジオ「GROWING REED」内で流れていた曲。先週のゲストが茶道家の人だったので、きっとそれに合わせて選ばれたのだと思う。名前は知っていたけど曲はちゃんと聴いたことなくて、でも不意に流れてきたこの曲でちゃんと出会うことができた。語尾の余韻が心地いい。

 

・Jeva「イオン」

何年か前にYouTubeのおすすめで出てきて、それから時折思い出しては聴いてる。

地方出身者あるあるの内容だけど、ネタ曲になり過ぎてない切実さがあって好き。

 

・tricot「Potage (Audiotree Live Version)」

なんでもライブバージョンっていい。

 

・嵐「Don't You Get It」「a Day in Our Life」「Ready To Fly」

日本語と英語が一節の中に当たり前に混じり合って、ジャンルも軽々と横断して、それでいてユニゾンが生み出す謎の一体感と説得力。この面白さは中毒だし、昨今色々とあるけれど、なにはともあれ曲たちのパフォーマンス力は凄まじい。歌やダンスのリードは大野くんだけど、櫻井くんのラップやその他諸々の表現の仕方に注目し始めると、むしろそれにしか目がいかなくなる。

こぼれ話として、雑誌「広告」の文化特集でジャニーズについて触れている章があり、事情により掲載できなかった文章があったりして、対談した人が後日noteにその経緯を記したりしているのが総じて面白かったな。そうだよなあと思いながら読んだ。

 

・木村カエラ「STARs」

人生初めての音楽ライブ、前から3列目の好座席、爆音で聴いた曲。

会場出てからもしばらく耳鳴りが続いて怖くなった思い出がある。しかし今となっては何も考えずポジティブになれる曲。

 

・初恋の嵐「初恋に捧ぐ」

散歩してる時にサビだけ繰り返し口ずさんでた。

 

・WINO「太陽は夜も輝く」

言わずと知れたハンターハンター初期アニメOP曲。

思春期に吸収したものだからか、いつまでも頭の中に住みついて離れないアニメの映像や、この粘着質な歌い方も大好きで、カラオケで歌うときは真似してる。冒頭がアコギってのもあってか、一時期続けていたギターでも練習曲として弾いていた。

 

・FIELD OF VIEW「DAN DAN 心魅かれてく」

ドラゴンボール、そこまでちゃんと観たことがないけどこの曲は好きで、たまに聴いて元気もらう。サビ一回目の「DAN DAN 心魅かれてく〜」もいいけど、二回目にくる「ZEN ZEN 気にしないフリしても〜」の表記も良い。

 

・天竜川ナコン「夜を乗り越えて (Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜 REMIX)」

この前、友達から教えてもらってすぐに好きになった。

いきなり「咳をしても一人」から始まるバースでうわーってなった。(友達には山頭火の引用だよやば!とか話してたけど、一応調べてみたら同じ自由律俳句の尾崎放哉だったすまん)

映像編集の仕方とか、選んでくる素材のセンスとか、ネット文化の面白い人っていう意味ではHASAMI groupを思い出したりもして、それを最初教えてくれたのも同じ友達だった。

高校からの同級生で「nisai」っていうブランドで服つくってる。

 

・向井秀徳「プールサイド」

bloodthirsty butchersのカバー。トリビュートアルバムに収録されている。

なんでこの曲に惹かれるのか分からないまま、でもずっと聴いちゃう。

 

・後藤輝基「Carnival」「こぬか雨」

歌声が切な過ぎず切ない。そして藤井隆さんの勘所すごい。

ちゃんと後藤さんの顔が浮かんでくるのに、それでもちゃんと心に染みる。

 

・サザンオールスターズ「The Track for the Japanese Typical Foods called “Karaage”&“Soba”」

桑田さんのこういう真面目に遊んでる系の曲好き。ソロだと「ヨシ子さん」とか。

これも初めて買ったサザンのアルバムに入っていて、やっぱりデータでなく物として得た経験って強く残るのか、時々記憶から出てくる。

 

 

少しと言いつつ、めっちゃ長くなってしまった。

音楽、シャッフルで聴くのが好きじゃないので、その時々の気分に合った1曲を探してひたすらそれをリピートするか、もしくはアルバムを通しで聴いて気分の流れをつくったりするからか、さっと書いて済まそうと思ったのにそうならなかった。

 

ここまで読んでくれた人、ありがとう!

おつかれさまでした。

 

覚えてる範囲で

どこにも合わないピントで、ただ流れていく景色を見ていた。

大通りから住宅街へ。それまでゴーーと低い音を鳴らして走っていたタイヤは速度を落とし、じゃりじゃりと小石を踏みながら進んでいく。ナビを見ながら「たしかこの辺だなー」と社員。やがて、一軒目のマンションに到着した。

ピンポーン。

事前の説明もあり、挨拶も簡単にしてすぐ梱包作業に取りかかった。食器などの小さい雑貨を一つ一つ緩衝材に包み、段ボールに入れていくのが自分に振られた仕事で、その間に社員は動線の養生をしていた。

 

他所様のモノを取り扱うことに緊張しつつ、それを整理して段ボールに詰めていくのは思ってた以上に時間がかかった。そのうちに、養生を終えた社員が戻ってきて3人で梱包作業。並んでみると流石に作業のスピードが違う。あっという間に詰め作業が終わり、残すは大型家具の梱包となった。

 

冷蔵庫やテレビは専用の布で包んでしまえばいいので比較的簡単だったけど、家に入った瞬間から強い存在感を放っていたガラス製のテーブルとテレビ台が最後に控えていた。他人の家の中で、こだわりのありそうなインテリアほど怖いものはない。要所要所で自分も支えたりはしたものの、これもほとんど社員2人が迅速に丁寧に梱包して無事に終わった。

仕事だから切り替えてこなすことは当たり前なんだろうけど、ギャップなのか、車内での出来事ですっかり訝しんでいた心はほんの少しだけ影を薄めた。

そしていよいよトラックへの積み込み作業が始まった。

タンタンタンタン。

階段を急ぎ足で降りていく。

 

もう何度目なのか覚えてないけど、部屋に積まれた段ボールは減っている気がしなかった。運ぶ前に教わった荷物の持ち方だけを確実にしながら、何度も出入りするために踏み潰された靴のかかとはもうどうでもよかった。

横を通り過ぎていく社員は階段を2段飛ばしで駆けていく。自分が1回荷物を運び終えるまでに、社員は2回運び終えていた。

当然な差なのに、変な負けず嫌いが発動して、抜かされるたびに情けなくて悔しかった。両手に上手に力が入らなくなってきて、足も重くなっているのがわかる。汗も止めようがない。荷物を安全確実に運ぶことが最優先で、ましてやゲームじゃないから勝敗もないのだけど、やはり前半の態度に対して仕事内容で見返してやりたい気持ちがあった。

 

どのくらいかかったのか、結局途中からは考えることもやめて、決められたルートの往復にだけ意識を集中していた。

全部積み終わって息が切れ切れ。社員の方は軽度の運動したな、くらいの感じで養生の片付けをしたり次の目的地を調べたりしていた。そのうちに準備ができて車に乗りこみ、今しがた積み終わった荷物を下ろすため、お客さんの新居へと向かった。

 

 

とまあ、ここら辺までは割と記憶していたのだけど、この後の荷下ろし、そして二軒目の団地住まい家族引越し作業のことは、正直「大変だった」としか思い出せなかった。

断片的にあるのは、冷蔵庫の下部を持ちながら階段の踊り場をどうやって曲がりきろうか試行錯誤したことや、へろへろになりながら歯を食いしばって段ボールを三箱、無理して運んでたら途中であわや落としそうになり、社員がすかさず助けてくれて「無理しなくていいから」って二箱持っていってくれたこと、ちゃんと水分とれよって渡されたペットボトルのこと、最後の荷下ろししてる時にトラックの後ろに見えた夕陽のことだった。

 

たった1日のバイト談なので、フリからオチみたいなものは何もないのだけど、今でも宅配業者の人がわざわざ手渡しで荷物を持ってきてくれた時とか、停車中の引越し業者のトラックを見かけると、この日のことをふと思い出します。