トマトとブロッコリ

買ってきたトマトを切る。

パックに張られたラップ越しに主張するぶりんとした果皮。おいしい目印スターマーク。包丁、最初にぐっと力を入れて、あとはすーっと切れていくトマト。

大玉だったら6等分、中玉だったら4等分、くらいの感じで切り分けて皿によそう。

子供の頃は大嫌いだったトマト。なぜだか30過ぎて平気になって、今ではほぼ毎日食べている。岩塩、ミルで振りかけたら完成。

 

買ってきたブロッコリを茹でる。

水ですすぎ洗いをしたあと、蕾をひとつひとつ切り分けていく。その間に煮立たせたお湯も準備しておく。塩を少々。茎は外側の余分な部分だけ取って、残った芯は食べやすいように細かく切る。そして2〜3分の待ち時間。鍋いっぱいに広がるブロッコリの隙間から気泡がぽわぽわ。色も変わって鮮やかさん、食べごろの合図。

ザルに移して予熱の効果、でも待ちきれずつまみ食い。マヨネーズつけなくてもうまいうまい。

 

あとは、オリーブオイル浸し鶏肉電子レンジ蒸しや、キャベツざく切り味噌汁、市販だけど大好きな大粒納豆「雪誉」などが日々の食事です。

 

あまりに書くことが浮かばなすぎて苦肉の策が食材の調理方法という謎。だけどそうするしかなかった理由は、この二日間ずっと熱と吐き気で寝ずっぱりだったからで。

おそらく食中毒。先週の木曜日に居酒屋で食べた何かが原因。(何かというのも、4軒まわったのでその中のどれなのか判然としないから)

久しぶりに「やられたー」という感覚で大人しく天井見つめながら過ごしていました。

 

ここは東京なのにひとりだね

窓辺の風鈴ちりんちりん。その向こうにみえるあおーい空に合成したみたいな雲が等間隔。つよい風びゅわびゅわ。カーテン代わりにしている薄い布ばさばさ。そんな暴れさせて一体どうするつもりんちりん。

やる気のおきない午後だし、ここは東京なのにひとりだね。

 

 

昨日、代官山ティーンズ・クリエイティブで行ったワークショップ「スタイロフォームでつくろうかたち」を終えて家に着いたら、なんだか一気に疲れが押し寄せてきて仰向けになってしばらく天井見つめてた。

 

施設の常連小学生や、わざわざ遠くから来てくれた親子、はたまた作品が好きで参加してくれた大学生カップルなど、思っていたより色んな人が参加してくれて嬉しかった。当初の想定では1人2人くらいしか来ないんじゃないかと思っていたけど、おかげさまで最初から最後まで気持ちはだれることなく取り組むことができた。

それぞれにつくりたいものがあり、それぞれの工具の使い方、スタイロの削り方があって、普段の自分のやり方と頭の中で比較しながら見ているとなんだか新鮮な気分だった。

 

帰り、オンにしてた気持ちを冷ますために渋谷まで歩いた。

上がったり下がったりしながら必ずどこかの道と繋がっている、ここらの土地特有のダイナミズムを感じながら人とすれ違う。歩くぶんにはおもしろいけど住みたくはないなあ、なんてことを思いながら夜の風、金曜日、道玄坂の賑わいを横目にしつつ駅まで急いだ。

 

あとは、

今週買った本「恐怖の正体 トラウマ・恐怖症からホラーまで」春日武彦 著 (中公新書)が、まだ読み始めたばかりだけどもうすでに面白い。変に時代に合わせた展開してなくて、かつ学術書みたいな硬い文章にしていないのもいい。

恐怖症=フォビアというと、原作 原克玄、作画 ゴトウユキコさんの漫画「フォビア」の最新話もおもしろかった。一話完結、毎回異なる恐怖症をテーマにして話が展開していくのだけど、ただ単に怖いだけじゃなく、そこに至るまでの人間のくだらなさとかもちゃんと差し込まれているのがいい。なによりゴトウさんの描く線が好きで、学生の頃にヴィレッジヴァンガードで買った「Rー中学生」以来、「ウシハル」「水色の部屋」など経歴を重ねても、その線の魅力が失われずにいるのがすごい。おぼつかない線、というのか、感情が宿っている線というのか、なんかそういうのに惹かれる。

そういう意味でいうと「ONE PIECE」初期の線も大好き。

 

そんな親心の

「公園」と「広場」の違いについて調べてみたりした今日この頃。

公園といえば遊具があって、ボール遊び禁止の看板があったりして、運よきゃベンチがあってトイレがあって、親同士で世間話しながら子供たちは追いかけっこしてたりする場面も時々あって。目的地として設定するような大きい公園があれば、住宅街を歩いていて予定外に出会う公園もある。そしてその規模が小さいものは便宜上、広場になるらしい。その正式な定義や平方メートルは興味あれば各々調べてもらうとして。ふむふむ。

 

暇つぶし、グーグルマップで「広場」と調べてみた。

すると誰もが思い浮かべる、もしくは普段から通行していたりする場所がざっと出てきた。当たり前すぎるほどの画像各地を親指で訪れながら、まあこんなもんかーと思い、検索範囲を適当にスライドして止まった場所で再調査。そこは池袋。またもや駅周辺の当たり前広場が出てきてぼーっとしていたとき、え?なにこれ。というような画像が目に止まった。とまあ、それは興味があれば各々調べてもらうとして。よしよし。

 

暗渠とか廃墟とか井戸ポンプとか、都市の中でも見ようとするポイントが違うだけで同じ景色でもフィルターが変わる。ゲームでもよくあるよね、サーモグラフィーに切り替えるみたいなそういう効果。トマソン探し、スナップフォト御用達の路地裏探訪、つまんないことも捉え方次第だなーなんてことを思ったり思わなかったり。これはただの文字数稼ぎ。

 

さて、今週はMr.Childrenの新しいアルバム「miss you」を購入しました。

店で買って家に帰るまでの間、今回どんな感じなんだろうと想像を膨らましたり、封を開けて歌詞カードを読みながら聴くあの時間はかけがえのないもの。アルバム自体も良かった、とても。ここにきてやりたいことをやれている感じ。なんか妙に素人っぽい変な音使ってたり。50を超えてきて穏やかな面もあるけれど、一方で通底するのはローなテンションだったりして、その緊張感というか自虐劇というか、長年のキャリアに落ち着くことはしないんだなーと感じて感慨深かった。

ついでにTSUTAYAでハロプロやらジャニーズやら2000年以前のアニメソングやらをまとめて60枚、借りてスマホに収納。本屋では展覧会図録と写真集の2冊を購入。

 

もひとつ数の話だと、2021年頃から描いていたドローイングをこれまたデータ化するためにスキャンしてる。正確には数えていないけど現時点で1400枚くらい。残すところ800枚くらい。dpiは600。ここ数日は起きてから眠るまでずっとスキャナーを稼働させている。とくに何のためってわけでもないけど、展覧会等がなければずっと絵は家に眠っているだけなので、いつでも自由に顔出し挨拶くらいはできるようにしてやりたい。そんな親心の今日この頃。

 

(なんだこれ)

秋さいこう。

ずっとこのままであれ。

 

とは言ってもほとんど家。ずーっと家。いえ〜い。昨日も夕飯を食べるタイミングをなんとなく先延ばしにしていたら深夜1時半。このまま食べないでシャワー浴びて歯を磨いて寝るのもいいけど、いやでも意識したらお腹空いてきた。先週に続きまたもや「ぐー」。むしろこのままでは眠れないと判断し、近くのコンビニへ。

 

牛肉入りのフォーと、ささみ揚げにレモン汁がかかった惣菜、納豆、野菜ジュース。

さして興味のない深夜番組を見ながら黙々と食べる時間に(なんだこれ)と思いつつ、しっかりと完食してしまう自分の虚しさ。燃えるものがたんまりと入っている袋に追加するゴミ。さっきまでは食器だったのに。

 

せめてもの癒しといえば、家中の窓をオープンにして風を巡らせること。すずしいすずしい。風と一緒に外にある音まで家の中に入ってきて、1人でいるのになんだか賑やかな気分になる、のが好き。

 

他になんか書くことあるかなと思って考えたら、この1週間で100枚以上の絵を描いてました。

今月は特に色々と並行していたけど、中でも来年の4月に発表されるある仕事に使う絵のために、ラフも兼ねてたくさん描いた。表面的には彫刻だけにこいつ力入れてるなって思われるかもしれないけど、そんなん見せる見せないの違いなだけで、ずーーーーーーっと絵も描いてる!!!!!とここに誇示しておきたい。むしろ意地。どうせ遠目にしか活動見てないやつに限って、ちょっと今までと違うことやりだしたら、やれウケ狙いだの稼ぎに走ったよって内心思うもので、そんなん癪だし、彫刻をやりながらも絵も変わらずに描き続けているし、ていうか彫刻もめちゃくちゃ精神削りながらつくってるってのに。だって表現なんだよ、何つくるにしてもその身も時間も捧げてやらなきゃ人に刺さるはずないのに。てかなんでいまだに「皆やってるから私もやってみよ〜」みたいなテンションの造形物や、きれいに線引いて色塗りましたみたいなだけの絵が氾濫してい

おかげさまで背中も首もお尻も均等に痛くて、むしろバランスとれてるくらいの感覚!さらにこの頃は頭痛もあってもう大変!ここくらいでしかこういう言葉を出さないようにしてるから、このくらいの文字数は吐いてもいいよね!

 

音楽をスピーカーで流しながら、立ったまま机に向かってそこに置いてある紙に線を引いていく。身体を動かしながら、頭で考える隙を与えないように直感直感で画面に意味を与えていく。無意識だろうがどうせ意味は帯びる。そのうちその意味で構築されてしまう2歩手前くらいで動きを止めることができたならこっちの勝ち。翌日に見返してみても「ああいい絵だな」と思えたなら一安心。秋口、そんな毎日です。

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ぐー

雷雨。

部屋の隅にあるスピーカーからは滑らかな耳心地の音楽。とは対照的にピーゴロゴロゴロ、じゃじゃじゃじゃじゃ、ちょっとひとやすみしてる間にあらら雷雨。

 

今日は朝から打ち合わせのために恵比寿に。久しぶりの満員電車になんだか昂揚、したのはほんの数秒だけで、やっぱりこれはなんというか心がざわつく。無にしようとすればするほど、そうはなりたくない!っていうもう1人の自分が反発して、立ったままでいるのに心は忙しない。みんな朝からすごい。

 

1時間ほどで終わる予定だった打ち合わせはなんだかんだで3時間半。

最中にお腹のお知らせ「ぐー」でも、おかげでこれからやるべきことが明確になり、それまで抱えていた不安が取り除かれたのでとてもありがたかった。つたない言葉を、そのニュアンスのことをどれだけ説明できるのかはいつも反省することばかりだけど、それに付き合ってもらえることは本当に感謝だし、自分もそうできる側でありたいと思う。

駅に向かう途中、NADiffに寄る。

 

渋谷の交差点。記念撮影している外国人のグループをみながら、この場所であんな笑顔できるのって最高じゃんとあらためて思う。

来月からはじまる改装工事もあってか、駅前TSUTAYAのCDレンタルの階には人がたくさん。スマホ片手にサブスク解禁されていない音源を探して棚を物色してる人が多かった。

新宿駅地下の催事スペースでやっていた「コジコジ」のフェアは、いつの間にやら「うる星やつら」に変わっていた。その場その場を捉えられずに逃すともう2度と出会えないのは物事の真理だけど、別にコジコジにそれを求めていなかった。

 

友達とは月に1度会うか会わないか、実家にはもう1年以上帰っていない気がする。祖父母のお墓参りをしたいとは時々思い浮かぶのだけど、だいたいそういう時に限って制作が立てこんでいて後回しにしてしまう。そのうち静岡に帰ったら街中を歩きたい。

 

作品はどんどん増えていく。死んだら何にもならないものが次々に部屋中を埋めていく。その感覚がまた次のアイデアにつながる。そうして提示したものに誰かが振り向いてくれて、新しい作品をつくるきっかけをくれる。期待に応えるのも楽しいし嬉しい、もっと刺さることをやりたいと思う日もあるし、てんで方向を定めずに行方不明にもなってみたい。きっと誰に見せることもできないなっていう絵もあって、あー早く言いたいなっていうものが何個か控えてもいて、もどかしい。

 

とりあえず近況、3万円分のコピックを買ったので机の上は色に溢れています。

 

ヨダレでてきた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週あっという間だった。

ただこれといってブログに書けるようなこともなく、ずっと制作の日々で。

 

もう出来上がっていてあとは発表のタイミングを待つだけのものや、まだまだ進行途中のもの、これからどうしていきましょう?のものが並行。一年前だったらきっと混乱していたこの状況も、なんとか慣れてきた。毎日のメールチェックをする社会人の気持ちがまさか理解できる日がくるなんて想像していなかったけど、こういうの大事なんだなと身をもって実感。

 

もっと適当に、自堕落に生きていたいと思う反面、もっと真面目に集中して何事にも取り組みたいって気持ちも常にあって、その結果なんでもない自分がいつも鏡に映っているのがもどかしい。30過ぎても問答、こりゃ40過ぎても、50過ぎてもか。

鬼束ちひろの「月光」をカラオケで真剣に歌ったら女王蜂のアヴちゃんみたいな声になっていて、まあでもそれもなんかいい感じだなんて思った。和田光司「Butter-Fly」はとにかく元気でる。とりあえず本屋行くたびに読みたいと思った本を買っていたら積読がひどくなっていた。大人ニキビの厄介さをここ最近痛感。今回のブログは楽したいし絵を描こう、とやり始めたものの、それはそれで案外時間がかかって結果こうなりました。

 

そろそろ「この世は地獄」的なポップソングにもコピーにも、もういいよそういう旗の振り方って思う。台風が過ぎれば今年の終わりも視界に入ってくる。

 

些細な違いへの偏愛は 退屈な調和に至る

映画「TAR/ター」を観た。ブログタイトルの言葉は、この映画の序盤に主人公リディア・ターが学生と対話するなかで出てくる台詞から。

なんともいえない感情のまま、2時間38分が終わった。

劇中の流れている音楽とか、音とか、登場する人物それぞれのふとした表情や間、何かあるようで何もないまま過ぎていく時間とか、でも出来事は深く底通していて、それは明らかだったりそうでなかったりもしていて、だから、そういういちいちが紛れもなく人間を映していて途方に暮れるしかなかった。

 

大絶賛!大傑作!最高、生涯ベストに入るくらいの面白さ!みたいにして言いたい映画じゃなくって、なんなんだろうこの感じは、と思って考えていたらみつけた、たまに出会う「この物語ずっと観ていられる」の映画だった。

ドキュメンタリーのようでフィクションだし、時間の使い方や画面の見せ方なんてとっても映画的なのに、そのどれもが作為的に感じなくてすっと入ってくる居心地の悪さ。

いや、うん、そうだよな、うーん、これは、そうそう、ああ、なるほどな、うん。みたいな相槌を心でうちながら観ていた。

 

劇中の音楽を担当したヒドゥル・グドナドッティルのサントラも、あらためて映像なしで聴いてみたらとてもよかった。小さく、遠く、奥のほうからずっと鳴っている音。不穏だけど美しい何か。

 

色んな人が色んな角度で詳細な内容については発しているだろうし、でも自分の気持ちを冷ましたくないからこの作品に関してはわざわざそういうのは見なかったけど、唯一トッド・フィールド監督のインタビューだけは読んだ。そこには作中に登場する人物の描き方そのままの語り口で、決して答えのようなものに行きつかず、でも丁寧に言葉を紡いでいるのを感じた。

それは以前、「C'MON C'MON」という映画を撮ったマイク・ミルズ監督のインタビュー記事を読んだ時の感覚とも似ていた。まなざし、のようなもの。

 

他に今週観た映画は「逆転のトライアングル」「ロスト・ケア」「RRR」「ゾンビランド」「香港国際警察」「M:I-3」「M:I-4」「M:I-5」「M:I-6」

高円寺での展示が終わり、北海道江別の蔦屋書店での展示期間も終えてひと段落。もう何度観たか分からないけれど、疲れた心にトム・クルーズのあの切羽詰まった顔の演技は効きます。