バズらないでお願い。

いつも、ふとした時に思いついたことをメモアプリに記録しておいたり、ノートを持っていればそこに書いておく。そしてそれがいつか作品のモチーフになったり、展覧会のテーマになったり、単純に思考の整頓になったりするし、このブログのネタになったりもする。

今日は久しぶり(なんと18日も空いてた)の投稿だけど、そんなメモの断片を加筆再構成しながらの掲載です。

 

 

市場価値のない一見ゴミのようなものにとてつもない魅力を感じて、どうしても欲しくなる感情ってすごく大事だと思って。その集合体が積み重なってモザイク画のように自分自身を描いてくれるのなら、そのゴミを探し当てる直感だけはいつまでも捨てないでいたい。

 

歌はイントロなしで0秒から始まる。そうしないと今の聴き手に飽きられてしまうから、その前に仕掛ける。そして最後まで聴いてもらうためには細かなギミックをいくつも用意しておかなければならない。長すぎるものは聴き返してもらえないので短い中で風呂敷を畳む。

 

大好きな歌手の新譜はサブスク解禁と同時にチェック。CDは映像特典等があれば買う。が、パソコンに取り込んでしまえば物としての存在は邪魔なのでメルカリで「ほぼ未使用」で売ってしまえば実質数百円で購入できたことになる。なんせ中身は一緒だ。なんて手堅く賢い選択。

 

"ノリ"ってもんが不思議だ。そりが合うかどうかとも言える。なんたって目には映らないくせに、それを判断する側からすると違いが明確だったりするから、何でよと思う。その空気感の支配する場所に自分の"間"を持ち込むのは結構難しかったりする。でもそこで諦めずにプレゼンし続ければ、その"ノリ"の変容も可能かもしれない。あきらめないこと。でもあきらめてもいい。

 

羨んで人の背中ばっかり追っかけて歩いているような人には全く魅力を感じない。ある瞬間や、ある時期まではそれも有効な手段だけど、いかんせんその場所にずっと留まり続けているだけで工夫がない真似ばかりの姿には尊敬はもちろん信頼も薄れていく。誰もが戦っている。その戦線で隠れ蓑にばかりいるのはどうもいただけない。

反対に魅力を感じるのは、自分の中にある欲と文化と向き合っている人。

それが結果的にその人が生み出すものにあらわれてくる。言葉でもなんでも。

 

流行り廃りをどこかで斜に構えながら見ている人が、なんのことはない案外話題がSNSから拾ってきたものばかりだったりするし、電車の吊革を気にしている人が帰宅後の手洗いうがいを忘れていたりする。毎日特茶を飲んでいるくせに肝心な運動は面倒くさくてやらずにいる自分もそうで、なんなんだこの矛盾感!それと戦いながら日々皆生きているんだろうな。

 

エッセイが面白い人になりたいな。

 

自分のことはまっ先に棚に置くけど、言葉が面白い美術の人ってほんと少ない。

というかそれ以前に内輪以外に向けた言葉を持ってなさすぎて、それって興味ない一般に伝えたい言葉なのか、関係者にだけポジショニング獲得のために響けばいいと思っているのか、よく分からないままずっとぐだぐだ「あれはあーだこーだ」「誰々の文脈で」とか展開し続けてるのが、ああこの病はやっかいだなと思う。

ラジオ番組・作品解説・オープニングパーティートークセッション・シンポジウム・ワークショップ。ネット上を回遊して色々見てみたけど、どうもしっくりこない面白くない。かといって道化を演じて美術を面白おかしく紹介しようとするとアウトサイダー、奇人変人岡本太郎草間彌生ピカソゴッホ。もしくは知見のある文化人をナビゲーターにして作ったとしても、今度は業界の側からやんややんや野次が飛んでくる。

入り込んで来れば「無知だ間違いだルールを守れ」で、入ってこなければ「教養がない本質がわかっていないこんなの日本だけだ」となる。うーーーーーむ。

作品制作はこの先も続けていくけど、どんどん美術の世界の人に魅力を感じなくなっている。

これは回り回って自分に対するフラストレーションのカウンター攻撃であって、誰かにどうのこうの言っているようで全て自分に向けた拳なのです。

 

 

 

Twitterから。

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この投稿がこんな数になっていて驚き。

去年の夏にはまだ200人くらいだったフォロワーが、ドローイングを毎日上げ続けていたら段階的に増えていって、ある時期からはRTも手伝って今現在もゆるやかに伸び続けている。日常的に何かを"つぶやく"ってのが本当苦手で、しなけりゃしないでいいんだろうけど、でも見る側からしたら毎日のように何かしらが投稿されていた方が楽しいわけで、それを意識して頑張って言葉を投稿していた時期もあったけど、時間ばっかりとられるし虚しくなってやめた。でも描いた絵を投稿するだけならインスタと同じ原理で考えられるから、と思って切り替えた。自分に合う継続とタイミング。

すこしバズり、でも『多くの人に見られるってことは馬鹿に見つかることと同意』だって有吉さんが言っているし、それは実際有名にならなくてもその周辺で起こっていることに目を向ければ自明で、この数字自体も空虚なものだって色々調べれば分かることだから嬉しさは思いの外なくて。

 

それよりもなによりも、ずーっとこのブログを始めた頃から言い続けている"濃い関係"をこれからも地道に増やしていきたい。

例えば、このブログ始めた頃は毎回5〜8人の人が読んでくれていたけど、今は25〜30人の人がこんなダラダラした記事を読んでくれている。今あらためてブログや本といった読むメディアが注目されているとはいえ、タイムラインを滑らせながら得る情報に慣れている現在、特別文章に長けたわけでもない一般人のブログを何分かかけて読むことは普通しない。ありがたい以外の言葉がない。

BASEでの作品販売はお金を介するし、更に作品との相性もあるから同じ括りでは語れないけど、要するにもう一歩踏み込んでもらうことが大事だと思っていて。

表面的な数増やしはあくまでそこでしか判断しようとしない人のために用意してあげるもので、自分にとって大事なのはそこから中に入ってきてくれた人で。

やっぱり判然としない多くを想像するよりも、一人一人顔を思い浮かべられることのほうがいい。