てか情弱でいい。

2021.2.18(木)

 

どうもこんばんは近藤です。

 

ちといきなりなんですが、最近読んだ本から一部抜粋します。

 

ーールサンチマンと哲学的思念とを、わけもわからぬままごっちゃにし、心の汚物を先人の思考になすりつけて世の中に垂れ流す、これは明らかな環境汚染である。(中略)

思想的なものが汚らしい感じを帯びてくるのは、それが、アタマめかした実はウラミツラミに、こっそりと換えられるときである。

たとえば、「思想とは孤絶の道を歩むことである!」と息巻いている男は、その性格の悪さのために嫌われているだけだったし、「自己疎外は資本主義経済の必然的形態である!」は、俺が面白くないのは世間のせいだ、にすぎなかった。

先人の書物を読むときも、自分の不平を正当化してくれる章句ばかりを探して読んだ。こういうトンチキやその世代が、出版社なり言論なりの中枢で文字通り派閥と権力を掌握して、あんぽんたん思想書を拡大再生産している現在だから、人々が健全にものを考える習慣がこの国に根付くのは、まだ先になる。

     池田晶子(1994)『考える人 口伝西洋哲学史中央公論新社出版。

 

まだ序盤で読んでる途中なんだけど、この快活さに思わず笑ってしまった。

哲学系の本は頭の中でパズルが組み合わされば面白いのだけど、なんせ文体が硬くて読みにくいから普段は手にしない。でもこの本は口語体で、かつ砕けた文体にしているから読みやすく、しかも痛快だった。

"トンチキ"とか"あんぽんたん"とか連続して出してくるなんて、ああもう卑怯。

 

 

幅広く情報を得ることは良いことでもあるけど、それって人によって向き不向きがある。なのにその素質がないままに得ている気分だけの日進月歩は虚しい。

だったらもういっそのこと知らなくていい。知る必要がない。知らないままでいても気が付くことに本当の"知る"がある。無知の知。きほんのき。そしてそのエネルギーがたくさん詰まった人と接していると楽しい。単に笑えるとか喜びがあるとかじゃない、もっと複雑だけど単純で、言い表せない別の楽しいがある。

なーんも知らなくていい。開き直りでいい。読んでいた本の内容は関係ない。

 

てか情弱でいいのに。

 

 

SNSのことを誰かがSNSで批判する。それを見た誰かがSNSで笑ってる。あちらこちらでてんやわんや。きみのことがきらいです。ええじゃないかええじゃないか。

SNSでの出来事をSNSで組み立ててSNSに投げこむ迷いこむ。芸達者。かんけいないのにだいすき。喜怒哀楽の四面楚歌。

 

木々の隙間を見つけて、雲の流れを予測して、風はどこからくるのか分かるはずもない。家の窓を覗いて、明日の予定を忘れて、大通りからの抜け道を探す。目を閉じてまっくらな場所から何かを感じて。誰か助けてSOS。

 

f:id:Kond:20210324201837j:image

 

20121.3.24(水)