ある練習日の朝、

不登校になった。

 

 

中学一年の頃、陸上部に入っていた僕は、夏休み中にある早朝練習のために毎朝5時に起きていた。

時間も時間なので朝ごはんという気分でもなく、早々に支度をして家を出る。まだ薄暗い中、県道を走る大型トラックを横目にしながら必死に自転車を漕ぐ。

夏休み中の校庭は他の部活が使用するということで、陸上部は同じ静岡市内にある「西ケ谷総合運動場」という場所まで行かなければならなかった。

もちろん送迎バスなどないから現地集合の現地解散。家からおよそ一時間半の道のりを往復する毎日だった。

朝練の集合時間は7時。少しでも遅れようものなら、顧問の先生が木刀を片手に待ち構えている。漫画のベタな設定のようだが事実。今の時代では考えられないようなことが、ほんの十数年前までは当たり前に存在していた。

 

そもそも、陸上部に何一つ魅力を感じていなかった。

遊びとして身体を動かすことは好きだったけど、競技としてのスポーツにはさして興味なく、かといって帰宅部になるのも気が引けたので、同じ小学校の友達が入っていたからという理由だけで陸上部を選んだ。

入って初日に顧問から「お前は体型がガッチリしているから砲丸投げをやれ」と言われ、そのまま2人しかいない砲丸投げチームへと案内された。一緒に入った友達は中長距離走のチームにいて、大勢いる同級生や先輩たちと早速打ち解けているようだった。

 

総合運動場での練習は、まず最初に全体のストレッチから始まり、次にコースを何周か走ってウォームアップをする。それが終わって各チームに分かれ、専門の指導に入る。

砲丸投げチームは、フォームをまず身体に馴染ませることと、あとはひたすら投球の数をこなす時間に当てられた。当時はまだ室伏広治が現役で活躍していたのもあって、「ア゛ア゛アアアアア!!!」とか言って真似しながら投球練習をする日々だった。

せっかくの夏休みなのに、汚れてヘトヘトのまま自転車で一時間半。さしたる信念もなく選んだが故に揺れる心。思えばこの時にはもう、疲れに混じって潜り込んでいたものの正体が徐々に大きくなっているのを、自分でもわかっていたのかもしれない。

 

 

ある練習日の朝、少し熱っぽいなと思って体温計で測ってみたら37℃を超えていた。

元々体温が低いので、大事をとってその日は休むことにした。

部活に入ってから初めての休み。とりわけ何をするでもなく、安静にして過ごした。

次の日、熱は下がっていた。

よかった、いつものように支度をしなきゃ、と心では思いながらも、なぜか身体が動かない。むしろ時間が迫り、そろそろ家を出ないと!と思えば思うほどに強く拒否している自分がいた。このまま今日も休みたい、まだ熱があると嘘つけば大丈夫、大丈夫もう一日、もう一日だけ、、。

 

今思えば、ほんのちょっとズルしただけのこと。きっと誰にでもある出来心。

なのにこの日を境にして4年間、中学・高校と不登校生活を続けることになるとは、まだ知るはずもなかった。

 

 

f:id:Kond:20211020061304j:image