ミネラルウォーター

その日は夏日だった。

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朝7時に事務所に集合、そしてこれから行う作業の説明を受けた。

支給された制服に着替えて、荷物を梱包するための資材を言われるがままに運ぶ。資材が置いてある倉庫とトラックの往復、作業に必要なものが次から次へと手渡される。それほど重くない段ボールや緩衝材も、何回も繰り返していれば疲労は溜まる。そのうちに戻りが遅くなってくると「おーい、一軒目の時間に間に合わないよ!」と社員からのプレッシャー。「はい!すみません!」と返事しながら、体育の授業でやったシャトルランを思い出した。

 

きついきついとはもちろん聞いていたけど、その分高時給なのが魅力な引越しバイト。でももしかしたら噂は噂なだけで、いざ中に入ってしまえば「なんだ大袈裟じゃん」ってな感じになるんじゃないかという一縷の希望と、少しの怖いもの見たさで応募した。

 

ようやく運び終わったものの、これはただの準備でしかないことに不安の雲が覆う。(思ってたよりしんどいけど大丈夫か、、いや、でも初めてなんだからちゃんとコミュニケーションとって無理せずにやるのが大事、、)そう考えながら、おそらく20代後半、自分とさほど年の変わらない社員二人と一緒にトラックに乗りこんだ。

 

目的地までは40分。車内は社員同士の愚痴で充満していた。

「この前行った家がさー」「ああわかりますわかりますヤバいっすよねー」

初対面で密室空間にこの会話、やばい、萎縮してしまう。でも仕事の基本は意思疎通だし。そう思い、意を決して会話に相槌を打つ。

「たっ、確かにそういうの困りますよね!」

反応がない。

間が悪かったのか声が小さかったのか、あれでもここ車内だし、そう考えながらも相変わらず社員同士のだるそうな話し声は続いている。もう一度と思い「へーそんなこと言われるんですね」と発してみるも返りがない。目も合わない。

そうか!ちゃんと主語に名前を付けないと向こうも独り言だと思って処理しちゃうか!なんて、本当にその当時思ったかどうかは分からないけど、胸元にあるネームプレートを確認し、会話がひと段落した瞬間すかさず「◯◯さんってどのくらいここで働いてるんですか」と疑問符。さあどうだ。

 

「あのさ、指示したことだけやってくれればいいから」

 

ピシャリと何かが閉ざされた音がした。気がした。

もう一人の社員は軽く笑って、またすぐ元の仏頂面に戻った。言葉にはしていなかったけど、その笑顔には同意する意思が込められていた。

「あっわかりました」

下を向く。歩を進めただけなのに王手されたような将棋。

 

社員のネームプレートは安っぽいビニール製のケースに入っていて、陽射しが反射するたびにチカチカと目に触れていた。よく見ると、名前の上には社訓なのか個人のキャッチフレーズなのか、手書きで『笑顔と真心込めて運びます』の文字。微笑む、ピンク色のイラスト。

開け放した窓からは風がたくさん入ってきて車内の空気を高速で循環していく。なのになぜか手汗が止まらなかった。

途中で買ったミネラルウォーターを飲みながら、まだ着かないかなと外を眺めた。

 

わたしのモーニングルーティン

「毎週金曜にブログ更新!」

なんて宣言したものの、あれよあれよと日は過ぎ、体感3日ぐらいしか経っていないのにもう金曜。はやい。

誰も興味ないモーニングルーティン。

 

朝起きたらまず顔洗ってうがいして、そんで天気がよければ洗濯機まわして、洗い終わったよーのアラームが鳴るまでに朝食済ましてチャンネルは日テレ。そんで洗濯物を干しにベランダへ。

 

マンションの5階に住んでいるのだけど、周りに並ぶ建物もないから風通りがよくて心地いい。だから春夏秋冬、大抵は窓を開放して過ごしてる。近くに大通りもあるから適度な騒音もあって、図書館で勉強できなかった性分の自分としてはそこも嬉しいポイント。

ぎゅうぎゅうに絞られた衣類を一つ一つほどきながら、軽くぱんっぱんとシワを伸ばしていく。この単調な作業が結構好きで、時たまする柔軟剤の匂いと太陽の匂い(ないけどある感覚)、通勤通学に向かう人の姿を遠くに見ながら目が覚めていく。

 

洗濯物を干し終わったらストレッチ。

これも最近始めた散歩と並行して毎日続けていることで、でも健康志向というよりは、とにかく時間があれば怠けたがる自分のために詰めているスケジュール。

小学生の夏休み、近くの公園で早朝やったラジオ体操を思い出しつつ、適当に身体をほぐす。

そんで歯を磨いてシャワーを浴びる。

 

あとは散歩を先にするか作品制作を少し進めてから行くか、くらいなもんで日が暮れていく。のだけど流石になんか尻つぼみなので、最後に最近の嬉しい報告を。

 

・東京の高円寺と吉祥寺で展示が決まりました。まだどちらも詳細は未定ですが、今のところ絵を展示する予定です。

・web shopに掲載していた絵(2018-2020頃に描いたもの)が5点購入されました。そのことはもちろん感謝なんだけど、配送するために久しぶりにじっくり見て、いい絵描いてたじゃん自分!って思えてそれもなんだか嬉しかった。彫刻は皆が受け取りやすい光、絵は分からなさを手探りしていくようなもので、これからもそのバランスを大切にしていきたい。

 

そして、広告を消しました。

いつからか本文中に出るようになり「読むリズムが崩れるしこれ嫌だなあ」と思っていたので、この際だから有料版に加入して非表示にしました。

noteとか別の媒体に移ることも考えたけど、はてなブログのこの洗練されすぎていないデザインが好きなので、これから一年間は毎週金曜継続決定。

 

ちいさな「お」

ここんところは散歩。

 

地図アプリは開かず、目的地も決めずに歩く。

家を出て大まかな方面だけは把握しつつも、あとはその時の直感で右か左かを選択。そうして歩いたことのない場所へ進んでいく。とは言っても別段刺激的な光景があるわけもなく、平々凡々とした家や畑や道路の連続。でも時に肩の力を抜いて、どうでもいいような気分で辺りを見回してみると、いくつもの小さな「お」がある。

 

この表札にある苗字はなんて読むんだろう。書体がすごいな。窓辺のぬいぐるみの視線。庭の木が手入れされていて立派。コンクリート打放しの家が周囲と関係を断絶していてまるで要塞。私有地くらい狭いのにちゃんと公道なのかここ。突然のパン屋。コインランドリーにあるドラえもん。団地に舞い散る桜。広いわりに人気のない公園。川がきれい。

 

この道とこの道がつながってたんだーとか、行き止まりかと思って近づいたら暗渠になってる小さな横道があったり、アラビアの宮殿もしくはベレー帽みたいな形の屋根の建物が工事中で、何ができるんだろうと思って看板を見たら「こども園」とあって、ほえーとなったり。

 

気が付いたり考えたりしながらも身体は常にリラックスしていて、両手はいつでも自由にしていたい。実際はやらんけど妄想の中では両手広げてバランス台の上、ふらふらと浮遊させているように歩きたい。ジョーカーの階段しかり、もしくは指揮者の振る舞い。

 

セロトニンのおかげでロマンチックは拍車をかけていく。

目をつぶって鼻から空気を吸い込んで、見上げたら葉桜。

恥ずかしげもなくこういう写真を撮っている自分を笑いながら、そっと手を閉じた。

 

好きなように

2023年3月22日(水)

みらんさんの新曲「好きなように」がリリースされた。

 

思えば昨年の11月、まだ完成前のこの曲の音源をいただいてから今に至るまでずっと、生活のあらゆる場面で自然と口ずさんでいる自分がいた。

というのも、先に依頼されていたライブツアーのポスターを制作する時点で、みらんさんから「好きなように」をモチーフにして絵を描いてほしいという要望があった。なのでそれ以降、制作中はこの曲をループで聴いていた。

 

 

ドゥーワップ

その甲斐あってか、みらんさん本人だけでなく、周りの関係者の方にも喜んでもらえたので一安心だった。

ツアーのタイトルが「星を飛ばす」だったのと、曲中の歌詞に「帰り道」「月」というワードがあったので、夜空の中で歌うイメージで描いたドローイングを軸にしながら、色や動きを出すために切り絵や手書き文字を配置した。

 

ギロの音の抜けた感じや、楽しげなリズムの中にある少しの切なさ、強がりまではいかないけど軽やかにいようとする一筋縄ではない姿勢、みたいなものを個人的には曲から感じて。

だから、ただ単にかわいい楽しいだけのものにはならないように気をつけた。

それは例えば、夜空を描くときにベタじゃなくハッチング(細かく線を重ねるやり方)だとか、切り絵の星は尖らせてビルは都市のネオンを意識して紫にしたり(灰色だと味気なく、ピンクだと下品だった)とか、作業中に敷いていた厚紙に残る意図しない線や色の滲みを取り入れたりとか。でも文字は遊ばせてみたり。

そんな、なんやかんやある中に歌がある。星を飛ばしている。

 

 

と、

前作の説明はここまで!

ここからは今作のジャケットワークについて。

これは完成版。

 

前回のポスターに引き続き「好きなように」を聴きながらの制作。ただ一つ決定的に違ったのは、その「好きなように」自体のジャケットを描くということ。そして依頼としては「星を飛ばす」の雰囲気は残しつつも、そこからの経過を表現してほしいというものだった。

 

以下、その道程。

まずはなんでもメモ。

あらためてこの曲でどういうものが浮かんでくるのか適当な気分でラフ。それとキャラクターとして絵に落とし込むためにみらんさんの宣材やライブ映像をスケッチ。手を動かす。

 

 

シンプルな線画。

Big Thiefの「Dragon New Warm Mountain I Believe in You」というアルバムのジャケットのような雰囲気が合うかなと思って描いてみたけど、ちょっとリラックスしすぎてる感があってやめた。

 

だったら、と思って劇画風にしてみたけど昭和のフォークすぎる。

 

色を塗ってみてもグッとこない。

 

少しだけ雰囲気を変えて色を塗ってみてもやっぱダメで、

 

こういうのを

 

こうしだしたらもう迷路で。

 

 

一度気持ちをリセットするため、手の動くままに描いてみたら案外いい感じだった絵。だけどあまりにサイケなロック。

 

ギロ

 

ポスターの絵のネガポジ逆ver.

 

どうしたって前回の絵に縛られすぎているし、発想力まるでないな俺、、

そうしてゲンナリしながら何気なく描いたこの絵。この、今までとさほど変わらないようなパターンの絵のおかげで滞っていた制作に謎の活路が生まれ、その後一気に完成まで駒を進めることができた。不思議体験。

 

どうすればインパクトあるだろうとか、差別化しつつも曲に似合う服はどういう色や形なんだろうとか、そういう見かけのことに比重が傾きすぎていて、いつの間にか肝心なことを見失っていた気がする。

自分がこの曲でまず感じたものはなんだったんだろう、そうして立ち返ってみて出てきたのが「風」だった。

 

息を吸って吐いて、身体を揺らして、それが風となってどこまでも遠く届いていくような。もしくは、どこからか吹いてきた風が知らぬうちに身体の中に入って、循環して去っていくような。そういう感覚を求めていけばいいんだと思った。

線で動きを立たせた空。

 

ベタ塗りしつつ下書きの線を残してる空。


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カラーみらん隊。

 

他の素材も用意していよいよ構成。

 

風は風でも台風前日みたいな蠢き具合でボツ。絵としては好きだけど惜しい感じ。

 

この足曲がり首長のアンバランスさもかわいいけれど、その些細な引っ掛かりが今回のジャケットとしては悪い意味で作用するかもな〜と思いボツ。

 

色々と置いて動かしながらいい感じのものはいくつかあったのだけど、最終的には曲で感じた風を一番表している下の構成にした。

あとは調整。

多すぎる星はドゥーワップというよりもむしろ合唱団なので間引く。それに合わせて寄り添いながら風と遊ぶように配置。それぞれの色調や色味をメリハリつけて分かりやすく。文字も最後まで入れるかどうか迷ったけど、何も遮らないほうが画面が気持ちいいなと思いやめました。

 

そうして完成した絵をもう一度。

 

 

かわいい!!!

 

 

ついにリリースされ、見慣れたサブスクの表示画面の中に自分の絵があることに感動した。

完成版のミックスされた曲を聴いて、それまで何百回と音源を聴いていたのに心が弾んだ。

 

ちょうどその日は天気が良くて風も心地よくって、一人めでたい気分になりながらイヤホンでこの曲を聴き、一時間ほど散歩をした。

 

つづく話

6月3日(木) 晴れ

今日は週一で中山先生が来る日でドキドキしてた。勉強を全然やっていなかったからだ。あと、中学校に行く予定だったから。なので、先生が来るまでドキドキしておちつかなかった。そして、ついに先生が来て、いざ勉強をやると、だんだん落ち着いてきて問題ができてよかった。しかし!3問間違っていて、あーやっぱり日々の努力が結果につながるんだなーと思った。その次はとうとう学校に行く時になり、またドキドキしてきた。学校に行ったら、いろんな人に会い、余計に緊張した。校長先生にも会って、心臓が止まるかと思った。今日はまったく、忙しない1日だった。

 

6月11日(金) 雨

今日は、中山先生が12時ごろ来てくれた。

前日に「明日行くかもよ」と言っていたから何時に来るんだろうと思った。実際昼にきた時には、えーこんな時間にきたのーと思ったが、それは口にはしなかった。で、先生は勉強を教えてくれると思ってたけど、なんと!学校に行ってみない?と言ったので、びっくりした。自分の性格上、いやとは言えなくて「行きます」と言ってしまった。けど、行ったら意外にいろんな事が知れて、やっぱよかったと思う。とくに畑で育てている野菜がすごくいっぱいあって、こんなに育てているんだーと思った。

はやく自分も学校に行きたいと思った。

 

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ある日、母方の祖父から

「ろくに外にも出ず家の中で過ごしているなら、少しずつでもいいから続けなさい」

そう言われて渡されたこげ茶色の表紙。中を開くとびっしりと日記を書くための空白。

うわーめんどくさ、と内心思いながら「ありがとう」と一言お礼をして家に持ち帰った。

 

さて持ち帰ったものの、日記をつける意義がその当時はよく理解できず、机の上に放ったまま手をつけずに日は過ぎた。埃をかぶっていく祖父の想い。少しでもやる気になればと思ったのだろう、皮っぽい質感のカバーは一見すると高級感があり、中学生が持つには少々渋めな感じではあった。でもそれも気持ちだ。不出来な孫に対する祖父なりの気遣いを、思春期特有の自己中心的残酷さでもって処理してしまった。

勝手だけれど、誰しもにそういう時期は備わっているものだと今になって信じたい。

 

すっかりその存在を忘れ、引きこもり生活も一年が経とうとしていたある日、そういえばあの日記帳どこにやったんだっけ?と、ふと思い出して机の上を見渡した。

しかし今更その姿はなく、でもさすがに捨てた覚えもなかったので、本やらCDやらで散らかった部屋を片付けがてら探すことにした。そうしてやり始めて数十分、ようやく見つけだした場所は、押し入れにあるカラーボックスの中の一番奥。

他の色んなものに押し込まれ、ぐにゃっと曲がりクセのついた日記帳と久しぶりに再会した。

 

 

中学2年生。

依然として不登校は続いていた。

ただ、以前と違うのは中山先生とプリント問題を解いた後、一緒に外へ出るようになっていたことだ。

目の前の公園、その先の自動販売機、コンビニ、大きな交差点、郵便ポスト。

中学校までの道のりにある大まかなポイントを目標に、少しずつ少しずつ歩みを進めていく。

祖父母の家に行くときはなんでもないのに、目的地が中学校というだけで、どこから湧き出てくるのか恐怖心が身体を覆う。近づけば近づくほど、目の前の視界が狭まっていくような感覚になる。

それでも先生は、無理しないようにと気にかけながら、徐々に中学校へ近づく自分の背中を押してくれていた。そのおかげで何度目かのチャレンジのとき、ようやっと靴箱のところまで進むことができた。が、思っていたよりも達成感はなかった。

それよりも、授業中の校舎の静けさに安堵していた。

 

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日記帳は、最初に書いた2004年5月31日から、最後に書いた2004年8月29日まで、およそ3ヶ月間ではあるけれど毎日欠かさず続けていました。

ほとんどがくだらない愚痴みたいなので、文章も今以上にヘンテコだったけど、それでも確かにあの頃の自分は存在していたんだなって思えた。

そして冒頭の文章にあるように、この頃から次第に学校へと通うことになる。

ただし、いきなりクラスに戻るのはハードル高過ぎっていうか、それはもう鯉池の中にパン屑投げ入れるようなもので(全然違う)、だから中間地点としての「相談室」にまずは通うことになった。

 

後々振り返ると自分の中学校生活の中心だったのは、クラスのみんなで楽しく賑やかな教室ではなく、静かに自分の時間を淡々と過ごす、この「相談室」という場所だった。

 

つづく。

 

 

中山先生

おもちゃを箱の中に置いていく。

毛糸の動物、レゴの人形、ゴム製の恐竜、西洋風の建築物、砂が敷き詰められたその場所にはいくらか不似合で、まるで夢のようなチグハグさが生まれている。なのになぜだかそれが落ち着くようでもあって、しばらくその作業に熱中していた。

それが「箱庭療法」という名の心理療法の一種だと知るのは当分後になってからで、その日、精神科の先生から診断された「うつ病」という名前がもつ色々な背景も、この時はまだ何も知らなかった。

 

処方された薬を抱えながら車に乗り込む。

この時、母親の気持ちはどんなだったろうか。表情も、車中の会話も今となっては思い出せない。ただぼんやりと、窓の外を流れる遠くの山々をみていた。いつまでもいつまでも視界に付いて離れない存在。当たり前にある風景。

大きく道を曲がるとき、バックミラーに吊るされた芳香剤が激しく揺れていた。

 

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家での暮らしは別段変わり映えなく、することもない怠惰な時間と共に日暮れを迎えていた。

そんな中、同じクラスの花城が近所に住んでいるということで、学校で配られるプリント類を時々持ってきてくれた。わざわざ足を運んでもらっているのに、最初の頃は顔を合わせられず、代わりに母親に受け取ってもらっていた。本当に情けない。次第にその申し訳なさに後押しされ、少しずつ、顔を合わせて受け取れるようになった。

「どう?元気?」

「うん...まあ..」

「はやく学校こいよな」

「そうだよね...うん..」

会話はとりとめのないもので、花城の立場からしてもかける言葉がなかったと思う。後ろめたさを抱えたまま対峙する自分からも、話すための言葉は見つからない。お互いに苦笑いしながら短い時間を過ごした。でもそのたった何分かの時間が、唯一家族以外の人と接する貴重な時間でもあった。

 

 

毎週木曜日、学年主任の中山先生が家庭訪問してくるようになった。

中山先生はガタイがよく、メガネの奥にみえる目は細長くて、一見近寄りづらい印象だけど、話してみると物腰柔らかくて冗談も言う、そんな人だった。軽部アナウンサーに似ていた。

花城と入れ替わるように、その頃は中山先生が学校で配られたものを持ってきてくれた。日なが一日家にこもっている自分の体調や心の具合を気にかけてくれて、「無理しなくていいよ」という言葉を毎回かけてくれた。それだけの言葉でどれだけ救われたかしれない。

 

そうして毎週の雑談が楽しみになっていた頃、「いつかクラスに戻れた時、少しでも授業に追いつけるように勉強もしていこう」と、中山先生から提案があった。

クラスに戻る、その言葉に一瞬動揺が走り戸惑ったけど、信用している先生の期待を裏切りたくなかった。明るく、やりますと言ったものの、しかし当然同学年がやっている勉強などわかるはずもない。なのでまずは、小学校高学年の問題集から取り掛かることにした。

 

 

テレビっ子

「おひるやすみはウキウキwatching〜あっちこっちそっちどっちいいとも〜」

お馴染みのテーマソングがテレビから流れる。

タモリさんを中心に、各曜日のレギュラーメンバーがゲームをしたり、たわいもない雑談を楽しむ様子がそこにはあって、遅めの朝ごはんを頬張りながら、自分とは程遠い空間だなと思った。

 

 

夏休み明けのチャンスを逃してから三ヶ月、毎日の暮らしにある唯一の娯楽はテレビだった。

その頃スマホはおろか、携帯電話がやっと写真付きメールを送れる機能、いわゆる「写メ」のサービスを開始したような時代で、しかしそんなことさえもまだ知らずに過ごしていた当時の自分にしてみれば、家にいて時間を浪費できるのはテレビを見ることだけだった。

 

平日、月曜から金曜日まで見る番組は決まっていた。

めざましテレビがやってる時間帯に起きて、そのままとくダネ、こたえてちょーだい、ニュースを挟んで笑っていいとも!ごきげんよう、昼ドラにはさして興味がなかったので流し見程度につけておき、それが終わると再放送のドラマが毎日二話ずつやるので、好きなドラマのときは欠かさずに見ていた。(中でも、やまとなでしこGTO踊る大捜査線は大好きで何回も観た)

夕方になると過去の名作アニメが再放送。だいたい「アルプスの少女ハイジ」「キテレツ大百科」「こち亀」「ワンピース」のどれかが定期的に放送されていて、静岡だったからか、初期の絵柄の「ちびまる子ちゃん」もその頃やたら見た気がする。

 

母親はもう何も言わなくなっていた。

三ヶ月も経つと家の中では不登校になる以前と変わらないような会話があり、自分も洗濯物を取り込んだり食器を洗ったりして、家での役割をこなすようになっていた。

三つ下の弟は毎日元気に小学校へ通っていて、兄の不具合に少しは違和感を感じていたかもしれないけど、それよりも学校で友達と遊ぶのが気持ちの中での優先事項としては高いようにみえた。

真意はわからない。でもそのおかげで、一日中家の中にいて過ごす自分の最悪さから目を逸らすことができたのは確かだった。

 

 

そもそも小学生の頃は、いつもふざけていて、わりと誰とでも話すような子供だった。

休み時間になれば、どんなに短い時間でもわざわざ校庭に出てドッジボールやらドロケーやらを集まってやっていたし、放課後は友達の家に行って日が暮れるまで遊んでいた。物静かなグループと話していることもあったし、サッカーや野球をしていた少しやんちゃなグループとはしゃぐこともあった。決して中心ではなかったけれど、中庸な立ち位置で学校生活を楽しんでいたと思う。

だからか、例えばいじめのように、明確にその理由の対象がいるわけでないのに不登校という状態に陥っていることに、ずっと整理がつかないまま、表面は健康体なのに精神だけが病んでいった。

 

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そんなある日、母親から病院へ行こうと言われ、車に乗って30分。

着いたのは、焼津にある診療所の精神科だった。