動かない情報

開かれた場は、常に人の感情によって情報が動いている。たった1人の人間にしたって日毎、右に左に、後ろへ前へ意見は揺れ動くのに、そんなのが集まってんだから大変。(特に今は大荒れに荒れている)


そんな制御できない感情たちの波に流されてしまわないように、また、俯瞰しているようでも結局はその波を目で追っていたら同じようなもので、疲れ果ててしまう。

 


先日、友人と話をしている時に聞いたことが記憶に残ってる。

ビル・ゲイツのThink week(本だけをバッグに詰めて最低限の生活ができる環境に身をおき、1週間ずっと本を読む。これを年に一回必ずやっているそう。)

これに触発された友人は、自宅にある本を整理して、また、新しく読みたい本を買って蓄えているそうだ。

高円寺で雑貨屋を経営しているのだけど、いざという時は1〜2ヶ月の間店を休んで本を読むことに集中したいと言っていた。もしかしたら今頃はそうしているのかも。

 

本は動かない。不動だ。

そこに決められた情報があるだけ。

手にとっても自分でめくらなきゃ次のページは読めない。

けれど突然に文字が書き換えられたり、他人が横槍入れてきたり、社会的な都合で消されたりすることがない。

経年によりシミも増えればヤケもひどくなるが、そこに時間を感じて愛おしく思う人だっているだろう。

当時は真新しい理論も今では周知の事実になっていたりもするし、表現の許容範囲も細分化されてきているから、読んでいて不快なこともあるかもしれない。

でもそれが出会いだ。

思いもよらない言葉と言葉の繋ぎ目に発見することがある。

勿論ネットにもそういうのはある。けれどいつだって本はそこにある。動かずに待っている。

なんたってNOT FOUNDがない。

 

 

楽観的な視点も、ポジティブを推奨されるのも、人によっては嫌なのかもしれない。

それどころじゃない、事態の深刻さが分からないのか、社会に属してない気楽な身分だから、他人事。どれもその通りだと思う、当事者の苦労はどこまでいっても分かりようがない。

でも、その違う角度を受け入れられたら見えてくることがあるかもしれない。

ましてや、ただストレスだけが先行して、当てやすい場所に石を投げても変わらないことの方が多い。そんなのはここ何年もかけて人が入れ替わり立ち替わり行ってきたが、充分に実証されてきたはずで。

むしろ、より本質的なことから遠ざかっている気だってする。


大きな総体として国があって、それを動かす時に個々の案件をどれだけ汲めるのか。それって当たり前な条件だしとても大事で、だからこそ手腕の試されるところではあるのだけど。でも助かる助からない救える救えないの2択じゃないのは自明で。(にしたってひどいって事もあるが、)

しかしそんな変化を逐一チェックして、その度に一喜一憂(今は憂うことの方が多いだろうけど)するんじゃなくて、変わらないことを確かめる作業が今だからこそ大事だと思う。


大きなものを失ったとしても、出来ることが出来なくなっても、継続が困難だとしても、それでも。

自分の中で、自分の身の回りで、変わらずに存在している人やモノやコトは必ずあって。そこを見直すチャンスなんだと、転換して展開していけたなら、危機を乗り越えた先にも繋がっていける人それぞれの大事な資産を手に入れられるはず。


そう信じてるから、僕は僕の大切にしたい人やモノ、コトを継続して「たのしい」や「おもしろい」に変えていきます。