うだうだ回です

いつもと変わらない朝が、秋の到来を告げているのだと、外で鳴く虫の音で気がつく。

暑苦しい日差しから、どことなく爽やかな光に変わったように感じる。好きな季節だ。

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ネットには日々、ドローイングやメモやスケッチやペインティングやらを載せている。呼び方とかは別にどうでもいいから、その時の気分で変えている。

 

Twitterは速報、リアルタイムだって感覚があるけど、その使い方をしていると身体に無理が生じることを徐々に気付く。アカウントを作ってそこで描いた絵を載せ、少しでも活動の糧になればと思いながら、その参加の仕方に悩み続けていた。

 

ある時はタグを入れてみたり、ある時は簡潔にしてみたり、またある時は逆に文章をこさえてみたりもしたけど、どうにも思うような反応が得られない。

得られなくてもいいじゃん!っていう強がりを盾にもしてみたがその裏打ちが弱いため、すぐに壊れる。やっぱり提示している以上、ある程度の評価は欲しい。しかし数に縛られるのもダサいと思う自分がいて、なんか癪にもさわる。

 

このジレンマを抱えてる表現者は数多いだろうし、だからこそ滅茶苦茶なものが生まれにくくなっているのかもしれないな、とかも考える。

 

まあだからもっと適当に付き合ってみよう!という感じで今まで散々上げてきた絵を再編集して上げてみたら、これがなんとヒットして。

見られていたようで見られてなかったというか、そりゃ数ある投稿の中で流れゆくコンマ何秒が記憶に刻まれるはずないよなあと。

だったらもうどんどん、自分では既視感あるけど、昔描いた絵を見易いようにして上げればいいんだと、とりあえずは。

絵として面白いと思ってもらえるものが今までにも散々あって、単純にこっちからのアプローチ不足なだけで、もがいてたつまずいていたものが無くなったような感じもある。

 

この活動?といったらいいのか、やり方を見つけたのが7月の初めくらい。

適度に承認欲求を満たせることができて、かつお手軽。

 

だがしかし、、、

 

だがしかしなんだよなあ、そういう舐めた態度はしっぺ返しがくる。SNSはどれだけ見下して舐めた態度とってもいいけど、その先にいる人達にまで疎かにするといけない。ただの中身のない拍手になってしまう。

そこを逃さずに幾重にもフックをかけて強固なファンにしていかなきゃならない。

手軽さにあぐらかいて、いつしかその快楽に囚われてしまってつまんなくなってしまっては元も子もない。むしろそうなりかけているかもしれない。今年まだ活動らしい活動をしていない。

 

『自分が楽しく生きていればいい。遠くの誰かじゃなくて、近くの人と。目立っていなくても派手さはなくても、他人からしたら日々繰り返しのようでも、そこにただ"生活がある"ということだけで充分に立派だ。』という見方もできる。いやむしろそれが基盤にないと生きるのが辛くなる一方かも。

 

だがしかし、

 

だがしかし、

 

 

いつも自分の頭の中で、数少ない友達が語りかけてくる。「そのままでいいの?」と。

 

現状維持が一番困難です、良くも悪くも。