ピーター・ドイグのへんな空

こんにちはこんばんは。近藤です。

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東京国立近代美術館で現在開催中の『ピーター・ドイグ展』を観てきました。

 

大学生の時に図書館にこもって画集を漁っていた時にドイグの画集を見つけて、確かその時はスタジオフィルムクラブのポスター集だったんだけど、「うわーかっこいい!」てなって。

それ以降、いつか日本で展覧会やらないかなーってずっと思ってたから、今回の展示は待ちに待ってたというか、コロナちゃんでどうなるか心配だったけど結果10月まで延期しているしありがたいなと。ま、すぐ行こうと。

 

で、実物、よかった。いやーよかった。

 

画集の時から好きだった作品もいくつかあったし、やはり実物の絵肌、大きさ、体験すると印刷された情報とは別物だね。当然だけど。いい作品目の前にするとそれをつくづく感じるな。

 

特に1990〜2000年代の作品がよかった。幾重にも塗り重ねていて重層的な画面作りしているのに、それが表面の絵肌にあまり感じられなくて。むしろすっきりとしているくらいの印象で見ていて気持ちよかった。

 

 

ただそんな中で気になった絵があって。

この『ラペイルーズの壁』という絵の空の部分。

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写真だとちょっとわかりづらいかもしれないけど、この雲の上にあるチョンチョンとした筆致。「これなんだろう」ってずっと思ってて。

 

いやたしかに全体としてみれば絵の中のアクセントとしてあるのは分かるんだけど、寄ってみると途端に変な感じがする。

もっと空に存在してる雲っぽく描けたんじゃないかと思うんだけど、筆の進入角度的にも下にある雲の方向と違うし、見て取れるこのリズム感も余計に違和感があって。

 

首かしげながらしばらく絵の前で立ち止まってた。いい絵なんだけどね。

妙に昭和の日本人が描いた油彩ぽさもあって(実際キャプションには小津安二郎の映画からの影響についても書いてあったし)、雲のことを考えなくてもドイグの作品の中でも他のと違う感じがした。 

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でさらに不思議なのがその左隣にあるこの処理の仕方。f:id:Kond:20200627234214j:image

 これなんかもはや汲み取り方すらわからない。どういう意図でこれを描いたのか、もしくは残したのか。急にこう、クックッと角度のついた刷毛かな、この筆致があまりに唐突すぎて画面に存在していることに思わず笑った。

 

他の作品でも空の部分の空間をつくってる作品はあって、それはむしろドイグの特徴のひとつでもあるんだけど(刷毛使って薄塗りでレイヤー重ねて空気感つくっていく感)、他の空にはこういった処理は見当たらなくて、だから余計に気になった。

でも引いて見た時には絵としてバランス良く見えるんだよなー。

 

いやほんと実物見るって面白い。

自分も絵を描いてるから特にそういう見方なのかもしれないけど、絵の中でどうしても咀嚼できない部分を見つけると、ずっとそのとこばかり見て色々想像してしまう。

人の手だからこそ生じるバグみたいなものかもしれない。もしくは気まぐれかもしれないし、もしかしたらただの間違いなのかもしれない。でもそういうのが人と接するということのある種の旨味なんだからしょうがない。

 

興味ある人は会期長いからぜひ行ってみてください。日本初個展だから人気爆発してるけど、今は予約制での入場になっているから割と余裕もって鑑賞できますよ。

同時開催してるコレクション展も見応えがあってとても良い展示だでした。

 

それではまた。