壁のらくがき

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街もすばらしい山もすばらしい。
閉じたシャッターの連なりにも、美しさを感じることだってある。
路地裏の行き止まりで口笛を吹いてみる、そこには誰かの描いた文字の断片が、また違う誰かの断片とくっついて新しい文字となっている。
その先の、何もない光に手を伸ばしてみる。光の、その先の。

I am walking tremendously The graftiti on the Wall is the truth. 

 

 

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例えば、30万円で作品が売れたとしても、せいぜい2〜3ヶ月の生活費にしかならない。その間に画材を買うとしたらその期間を削らなきゃならない。
そしてその後にまた同じように作品が売れるとも限らない。
そもそも30万の値をつけて販売できるキャリアは限られる。箔もない歴もない、そんな人のが大多数の中で、一つの価値だけを頼りに鑑賞者やコレクターとだけ相互に信頼関係を築いてもいずれ先細りしてしまう。
だったら更にいくつも引き出しを用意し、惜し気もなく披露して、強固な自分だけの場をつくっておかないと死ぬ。表現者的に。
でもそんな状態を常に維持し抱えながら制作をするのはあまりにしんどいし、ストレスは時に動力源にもなるけど、やはりストレスは荷物。本来やりたいことの純度が下がる。
ま、結局それらを「金」の話として捉えて動かそうとするから面倒になるだけで、ようは「生活」の話。稼ぐことを考えるのではなく、連なっていく日々の朝と昼と夜を考える。その中にある友達との馬鹿話や、恋人との心地よい静寂、動物の鳴き声、テレビのコマーシャルまでを考える。想像し、自分自身とどう付き合っていくかの算段。
誰にも求められずとも勝手気ままに芸術を作るし、人が求めることを商品として提供することも互いに影響し合いながら同時並行していく。
その両輪を成立させていくことが自分の永遠重要課題。

 

 

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”私は街の片隅に住んでいます。私は友達と一緒に駆けています。

高いところから見下ろすと、風が吹き、大きな音や匂いがします”

 

鼠が何を思い、何を考えて行動しているのかなんて、一体全体分かりようもないですが、絵にして設定を与えることで恰も感情があるかのように振る舞える。楽しい遊びだな、ほんと。