いつからか指先を意識するようになった。

 

絵を描くとき、彫刻をつくるとき、外を歩いているとき、人と接しているとき。

それぞれに応じて用途は違う。だからこそいつどうにでも使えるように日頃から整えていたくて、だいたい3日おきのペースで爪切り。1年くらい前からは爪やすりも導入して、より丸く深く整えるようになった。

 

ただ不思議なもんで、学生の頃はそんなことを別段気にすることなく過ごしていた。

それこそ1週間切っていなくても平気だったし、絵を描いてそのまま絵具で汚れた状態でも外を出歩いていた。というか、むしろその状態のほうが美大生っぽい雰囲気を演出できて内心は得意げだった節がある。そういう学生だった。

なのに今や、絵を描いて汚れてもそのままにはせず、一度手を洗ってリセットした状態にしないと次やることに集中できなくなってしまった。それはおまじないのように、いい仕事をするためには指先から意識しないとだめ、と思っているからかもしれない。

 

爪、そもそも手を見る癖がある。

土木や工場勤務の人の手はゴツゴツしていて古い大木の幹みたい。土や油の匂いがして皮も厚く、指のひとつひとつが太い。重ね合わせてみてもその迫力の差は歴然だし、そういう手の人と腕相撲して勝ったことが一度もない。

ギターをフィンガーピッキングする人の指先は楽器の一部だから、程よく伸びた爪と、それが割れないようにコーティングされたオイルで艶めいてきれい。

営業や接客をする人の手先はもちろん意識が行き届いていて、と言えばそうでもない場合も多々あって、じゃあ他にどういう点がこの人の売りなんだろうと推測しながら会話を進めていくのも楽しかったりする。

役所なんかで話を聞いている時、ワンポイント腕時計で遊びを入れている人を見たりすると、はっとして書類から一瞬顔を上げて確かめたくなる。

 

他にもレジで金銭授受する際の手つきとか、トーク番組に出てる芸能人の、自分のターンじゃない時の手の位置や動かし方とか、そんな逐一見ているわけではないけど、ふとした時に気になってしまう。

目とか口とか声のトーンとかよりも、意外と操作しきれない深層心理の部分だったりする。

 

まあそんな感じで最後にまた自分の手の話に戻ると、たまに作品を持って写真を撮る際に、作品以外の部分に余計な意識がいかないようケアをしている。

爪はもちろん、画面に映るであろう指付近の毛は剃って、仕上げに保湿クリームを塗って完成!土台としての役割をちゃんとこなせるように準備をする。

怪我したって熱出したって寝てれば治るでやり過ごしてきて、シミもシワも来るならこいみたいな態度だったのに、まさかこんなにも爪や手に対してセンシティブになるとは学生の頃には思いもしなかった。

 

ちょうどその頃発売したマキシマム ザ ホルモンのシングル「爪爪爪」

この文章書くにあたって思い出し、歌詞を見ながら久しぶりに聴いてみたけど、センシティブの欠片もなかった。

でも本当はそれでいいんだよな。